寒い春

寒い春です。桜もなかなか散りません。きょうは朝早くから忙しかった。朝早いというのは、夜中に仕事する私にとっては非常にきつい。寝ぼけながらの打ち合わせだったけど、どうにかまとまり一安心。ビジネスモデルの変更が今の私のテーマであり、そのためにひとつづつ詰めることがあって多忙な毎日。しかしみずがめ座の人はやはり今はきついのではないだろうか。みずがめ座の方のメールには共通してそんな気配が感じられる。しかし変化することには抵抗がない星座なのですから、その点は有利。本当に苦しんでいるみずがめ座は、ですから動きたくても動けない、そんな状況にある人だとおもう。動きたくても動けない長い苦しみは、しかしその人に誠意を築かせる。長い苦しみを甘んじて耐えてきた人にだけ培われる誠意があるのです。私は苦しければ早めに動くほうなので、そういう誠意は残念ながらもっていない。どういう誠意かというと、たとえば、地球が神様だったとすると、地表は神様の肌になります。そこをコンクリート付けにし、汚し、我が物顔に足蹴にしている人間に対して、地球の神はじっと耐えている。怒ればそんなものはいつだって簡単に壊してしまえるけど、そこをじっと耐える。それは人間を愛しているからなのだが、寝返りぐらいはどうしても起こしたくなる。動けば一夜にして山脈を築いてしまえる神様なのだ。今の人間世界を見ているとそんな構図がなんだか頭に浮かぶ。人間の横暴の影で、誠意をもってじっと耐えている存在があるはずだ。そうでなければとっくに人間は自滅していたと思う。しかもそうして黙って人間を守っているものに対して、私たちはきっとかなりの非礼を働いているのだと思う。私もきょう、一日、何かに感謝しただろうか。すべてが当たり前と思っていて、何にも感謝していないような気がする。感謝どころか、寒い、電車が来ない、時間がない、、と不平が多かったかもしれない。本当の開運は自分が働いている非礼に気付くことのだ。非礼のない人間はいないと思う。