ミスティ取材

きょうはミスティが取材で来訪。取材内容は妖精茶会について。5ページの特集らしい。妖精というと、本当にいるのですか、、、という質問をされる。妖精は自然霊だから、自然に霊がいるかどうかということなのだ。自然霊を昔の人は当然のように祝ったり、祭ったり、時には交信したりもした。それを迷信として片付ける人には妖精はいないも同然。しかし人間一人の力で本当に何でもできると考えているとしたら、あまりに頭がよろしくない。日本人はそうした力を、お蔭様、と呼び、無事に行っていることを確認するたびに、お蔭様で、、、と言ってきた。お蔭様のちからなくして人間一人で何ができるだろうか。ちょっとした違いが、大きいと昨晩述べたが、それこそがまさに妖精の力なのだ。妖精は自然霊だから、ツキが欲しい人は、部屋に花や緑を置いて楽しみ、音楽や歌を愛することだ。ちょっとした何かが違ってくる。そのちょっとした違いが、実は私たちをこれまでと異なる体験の世界へ運んでくれる。取材が終えて私も東京に用があり行ったが、その車の中で、携帯短歌という番組をたまたま聴いていた。私は短歌は短歌大会を主催しているくらいだから、当然関心がある。携帯短歌だろうと何だろうと、心を打つものはある。ただ携帯短歌はこれまで聞いていて、あまりいいものがなかったが、今夜は思わず車を止めて書き留めたくなった。高速なのでそれはできなかったが、忘れないうちにらジオを消し、反芻した。なんだか素晴らしくて、披講までした。車の中で。きっと卒業間近の学生が作った歌なのだろう。しかしそれは卒業だけではない、時の本質を、生きることの無常を若者は歌っていた。

 今はまだなんともないって思ってるここでさわいでここで笑って

写真は牡羊座の新月に星のローズ水の調合を待つ妖精茶会。きょうの芝生の妖精食事会の写真はなぜかメモリーオーバーでアップできないのでまたの機会に。