イチロー

ココログの私の日記でも書いたが、イチローはやってくれると思っていた。また松井は御身大切で出場しなかったが、イチローは全米一になったことで、今度は自己実現の大切さにシフトし始めていることが、怒りの表情やリーダーシップにあらわれ、そのことがチームを奇跡の優勝に導いた。本物の強さである。このことによって、すでにイチローは松井を超えた。勝ったからではなく、心構えにおいて上だった。松井も大リーグをうならせるさらなる活躍をすることで、自分のためではなくて、自己実現の野球に進歩してもらいたい。しかし、巨人の限界という考えもある。自分をわきまえ、ひたすらを支えることに専念してきた王、日本で悪く言われ、アメリカにわたることで自分を試した野茂、そして花を咲かせ、全米の長い野球の歴史上に燦然たる記録を打ち立てたイチロー、これらの人は、本当は前から、長島や松井よりも、ずっと実力が上だったような気がする。私は長島は決して嫌いではないし、習志野の血が私にも入っていて、よく長島に似ていると言われるので、近親感もかなり実はもっているけど、それでも言わせていただければ、もし長島がチームを引っ張っていたら、勝てなかったのではないか、という気がする。まず、イチローのやる気が巨人的なオーラによって制限され、のびのびできなかったと思う。私は長島監督は実は政治家なのではないかと思っているくらいで、日本政府のために野球を利用するという意味での大監督なのではないだろうか。しかし王やイチローは野球一本である。試合前、王はイチローにバッティングについてアドバイスして、イチローも素直にそれに従ったら、連続四本のアーチを練習中に飛ばした。そしてMBC初回にはホームランにつなげた。王のアドバイスを素直に受けるイチロー、そしてそれをすぐに結果につなげたことに対して、王は彼は本当の男だから、、と言った。やだ、なんで野球が嫌いな私がこんな情報まで知っているのだろうか。自分でも不思議だよ。しかし、これは新聞に出ていたので本当の話らしい。私は長島は好きだが、巨人的なものではもう何かダメなのだと思う。すでに時代が違うのだ。こういうことを一番肌でわかっているのが、野村監督だったと思う。野村氏は実は大変純粋な人間なのだが、かなり誤解されている気がする。日本の中にある、巨人を中心にする官僚的なにおいでは、これから先、今はまだ断然トップの座にいるものの、きっと無理になる。そこから逃げた人がこれだけ活躍しているのだ、逃げたからこそ活躍していられる。今回はずっとそういうことをわかりながら決して口に出さず、ながいこと耐えてきた王監督への、天からのプレゼントであったかもしれない。これでまた野球の人気が出ると安心してはいけない。日本の野球病を治すのは、野球界から官僚的な構造を一掃する以外にないのではないだろうか。