あと5時間で春分

21日午前3時26分春分です。さあ、これまで考えてきたことを待ったなしで行動に移す時期。いまになっても逡巡しているのはいただけません。迷いなしで行動に移す、というのが春分。明日は私のアトリエでは妖精茶会を開催。いらっしゃる皆様、ぜひお気をつけてきてください。13時の集合ですので、よろしくお願いいたします。駅にお迎えにいきます。改札出たところです。しかしその準備もしなくては。忙しくて何もしてないよ。今日は映画をベルの石崎氏、阿部さんと観てきた。なんだか難しい映画だった。本気で興行成績を考えた映画には思えない感じ。詳しくはココログという私のブログでお話いたします。とにかく疲れたので、久々にとんかつが食べたくなって、帰りに石崎氏ととんかつやさんに入って、今帰ったところだ。私はお肉を7年間食べなかった時期がある。体調は悪くなかったが、さすがに5年ぐらいたったときに、何か自分には栄養素が足りないものがある、的な気がしてきて、また食べ始めた。その感覚は当たっていたと思う。やはり肉はあまり食べないほうがいいけど、たまには食べる、、というのがいいような気がする。なぜ肉を食べるといけないのかは、色々な考えがあるが、どれもそれなりの説得力がある。まず、お肉を数年は、私は体調がぐんぐん良くなった。これは本当だった。疲れにくくなったこと、また持久力が非常についた。かなりハードな時期でベジタリアンになったために乗り切れたように感じる。ちょうど今から15年ぐらい前のことだ。土星がみずがめ座に来ていて、厳しいときだった。あのときの肉絶ちは今でも正解だったと思う。しかしその後、5年以上たつと、さっき言った、何かが不足している感じと、また長い間ベジタリアンをしている人に共通するものを見て、危険を感じた。どことなく顔色がどす黒く、ゴルフ焼けしたような色で、独特の神経質な雰囲気を漂わせる、、そんな感じが共通していた。私から見ると何かとても不自然なものを感じたのを覚えている。私は不思議とかえって色が白くなったほうだが、色々な出方があるのだろう。しかし足が痛くなったのを気に、私のかかりつけの龍先生が、肉を食べれば治る、、、というアドバイスに私はしたがい、確かに治った。以来、たまに肉を食べるのだ。色々な聖典のようなものには、肉について語られている。秀真伝には、肉を食べると魂しいが重くなり、死んだときにすぐに上にいきにくくなる、、、という物理現象として書かれているのが面白い。ひふみには、肉をたべるのは、ともぐいと同じで危険、と出ている。ともぐいが確かに狂牛病を引き起こしているのをみると、よくないのだろう。このことについて、ひふみは明快に説いている。食べ物は遠くて近いものがいいと言うのだ。遠いとは、生が遠いもの。すなわち、植物を食べると、植物は人間に出世できるから嬉しいのだという。しかし牛や豚などは人間に近いため、出世できず、かえってめぐりをつむから危険だというのだ。極めて論理的だ。生の遠い植物が人間に良い影響をあたえ、とくに遠くて近い、、ということから、暮らしている近くの植物を食べるのが正しい食事という。病人が出ると、その家の近くには必ず、その病気を治す、植物が自生するらしい。面白い話だが、ほんとうのことだと思う。