子供短歌大会
きょうは日本で最大の短歌結社であるしきなみ短歌会の子供コンクールの表彰式があり、披講をさせていただいた。子供の短歌は大変素晴らしく、感激しました。古式に歌ってもまったく違和感がなかった。
泣いてるかひとりぽっちか気になって休み時間に弟さがす
めかくしをしてあそびましたコスモスのあまいにおいがいっぱいしました
何げなく父と手をつなぐこのごろは気はずかしくてちょっとドキドキ
以上、3首が最優秀の歌だったが、どれも良い歌ですね。私はとくにコスモスの歌が好きになりました。7歳の子供の歌です。子供の絵もそうだが、和歌も子供の歌には力があります。ピカソはやっと子供の絵がかけるようになりました、、、と語ったことがそういえばあった。私も長いこと人生相談をやってきて思うのが、人間は大人になることで成長していくよりも、多くの場合はかえっておかしくなっていくように感じる。たとえば、小学生の子供の悩みや相談には論理性があり、なるほど、、、とわかりやすい。文章が稚拙なだけで、言っていることがわからない、ということはまずない。それが段々と成長し、中学生、高校生となるにしたがって、何がいいたいのか、まったくわからない、、というケースが多くなる。自意識の芽生えによって、自分自身のうちで認めたくない自分と、実際の自分との葛藤が文章に出てくる。これでは本当に苦しいだろうと思う。青春期の苦痛とは、葛藤と弁解が生む狂気にちかい苦しみなのだ。若いということは、生命力がある文、それは悪のエネルギーに満ちているとも言える。悪は必ず最終的に狂気にいたる。だからこそ親や周囲が守ってやらなくてはならないのが、若いときなのだ。このときに守られなかった人は問題が後に出てくる。結局人は守られ、愛され、その上である程度の悪態をつかない限りは独り立ちできないようになっている。守られ、愛され、悪態をつける、、ということは、ようするに甘えられるということだ。日本の問題の根本には、幼少期に甘えを満たされていないということがある。
めかくしをしてあそびましたコスモスのあまいにおいがいっぱいしました
大人であることをつらく感じたときには、もう一度めかくしをしてコスモスのあまいにおいをいっぱいかいでみたいと思う。