春の嵐だった夜半

昨晩の春の嵐はすさまじかった。山奥の我が家だが、季節風は通り道に当たる。昨晩の嵐は凄かったです。家がもっていかれるのでは、、、というぐらい。朝はかなり収まって、外に出てみると、だれかが掃除をしてくれたように、芝の上の枯葉の類が一掃されていた。テラスに出ていたいすも誰かがたたんだように隅にしまわれている。折りたたみいすは広げて出ていたはずなのに。宇宙人が昨晩ここに来ていたら、地球は風の強い星だと受け取るのだろう。私たちも実は同じで、初めて出会う、人から色々なことを知る。子供に与える最高の宝は、生きることはこんなに楽しい、、、とのメッセージである。今の子供は、もの心がつくかつかないかの頃から、早く、きれいに、といわれつつ育つ。禁止事項のオンパレードは仕方ないにしても、親自身の生きることへの不安は間違いなく子共に無意識として伝わる。そして子供は生きるのは楽しい、または、生きるのは恐怖である、とどちらかのメッセージを受け止めながら育つ。この世は楽しいと教えられるのと、この世は地獄だとおしえられるのは、あまりに違いすぎる。子供に与えられるプレゼントが今の時代は物に偏りすぎている。物ももちろん大切だが、物はなくなったらおしまいで、子供を本当には支えきれない。生きること、この世がお前を必ず受け入れてくれる、、というメッセージが今ほど必要なときはないように感じられる。そんな、油断してだまされたらどうするの、、、という考えもあるだろうが、安心して育った子は、だまされにくく、しかも、最悪、だまされたとしても、だまされたとは受け取らずに、ただ次から注意するようになる。自分が生きることに自信があるからである。日本の子供の笑顔はなんで少ないのか、後進国の子供らの写真を見ると、あの笑顔が日本の子供にはすくないな、、、と感じることが多い。ただ日本の子供よりももっと悲惨な気の毒な顔をしている国もあるが、子供の笑顔をみればそこが何を大切に生きている地域かはすぐにわかる。