ミスティ
ミスティという月刊誌で私の連載が始まった。初回は自分の神話を作る内容で、私が毎月作っている星のローズ水をモチーフに展開。私は今でも神話の時代は終わっていないと思っていて、私たちが自分の神話を作れるという考えだ。星のローズ水は私のヒルズの稼業であり、今後も続けられていくが、ずっとその家で続けられていくものに、私は昔から憧れがあった。能の家や歌舞伎の家、茶の家、花の家など、うらやましいわけではないけど、そうして続いていく稼業のありように不思議な憧れを抱いていた。そして思うのは、伝えるものを持つ人は幸せだということだ。受け取るほうは意外にわからないが、それもいつかはわかってくる。たとえば、歌舞伎の家では、当然のように子供が継いでいくが、反抗する子も中には現れる。他の生き方を探し、そしていつしか戻ってくる、、、。継いでいくものに憧れを抱くのは私が不動星座の生まれだからかもしれない。何を伝えるか、伝えるものを持っているのか、、、と問い続けるこの頃。披講という和歌を歌う流派も昔は綾小路という家であった。次に大原流と言う流れに受け継がれていくが、大原家の本家は断絶し、今は披講の正当な流れを汲む家はない。時の流れの中で消えていくもののなんとおおいことだろう。そんな感慨をよそに、披講学習会に大原氏が参加。聞くと、披講の家である大原家の分家の方であるという。不思議な縁である。プログラムという考えがある。時を超え、場所を超え、再びめぐり合ってそこに何かが動き出す。しかもそれは前々から予定されていた約束であったとしたら、生きることはロマン以外の何者でもなくなる。神話はまだ終えていない、私たちがそう信じるならば。稼業は血筋で伝えられていく。もうひとつ、霊筋によって伝えられるものがあり、めぐり合いの中に神話のプログラムは働いている。写真はヒルズの境界の道。