2003年07月22日(火)曇り
梅雨明けが遅れています。これまでに一番印象的だった梅雨明けは、今から7-8年前のこと。確か7月の22日だったと記憶している。雑誌の読者サービスで、私の信州の家で自然食の夕べ、という企画があった。玄米ご飯を炊いて、煮物をつくり、水は蓼科の湧水を使った。天候は思わしくなく、うっとおしい梅雨空だったが、飛び入りでエミールシェラザードさんが来てくれるという連絡が入った。そしてやってくると同時に梅雨が明けて、真っ青な空がお目見え。あのときの青空が忘れられない。けっきょくエミールさんはご飯ができたころ、時間がなくて帰っていったが、梅雨明けをもたらしてくれたのがエミールさん、という印象が強烈に残っている。あと、たしか松田聖子がデビューした頃の印象も、私の中で梅雨明けと重なっている。事実はいつだったかはわからないが、デビュー曲の鮮烈な印象を梅雨明けのイメージに勝手に重ねてるのかもしれない。しかしあのヒットは強烈でした。日ごとに、聖子ファンが増えていき、わずか二週間前までは、松田聖子の名前を多くの人が知らなかったのに、二週間後には誰もが知っている、本当にそんな感じだった。デビューのあの凄さは、他に比べるものがないのでは、と今でも思う。とにかく、初めて見た人をほとんどとりこにしていったのだから。子供も大人もそうでした。松田聖子のデビューはまた、バブルのオープニングでもあったと思う。バブル時代を告げる旗振り役を松田聖子はやったような気がする。私は聖子ファンではないが、しかしあのデビューの迫力は決してわすれない。松田聖子も命がけだったと思う。その緊張感が独特の硬質の震えるような仕草になり、そのまじめさと真剣さ、そして新鮮さが見る人をあっと言う間にとりこにしていった。私は物事が発展していくさまを見るのが、本当に好きである。あっという間に爆発して伸びていくさま、その見事さ。松田聖子、ビートルズもそうだったし、ピンクレディや、今は忘れられているが、私が好きな黛ジュンもそうだった。不安を背に精一杯自分の力を出している人に幸運の女神は宿る。人はなぜ安心したがるのだろう。不安のまま努力を重ねることが命なのに。私も不安神経症から自分の人生を作ってきた人間である。この精神だけは忘れてはいけないと、梅雨明けが近づくたびに思う。暗い空の次に青空が訪れる。不安を持ちつつも前を向いて歩きたいものである。