2003年06月10日(火)曇り

待望の雨が降ってきた。例の水争いのため、沢水を使うと止められたりするので、とにかく雨だより。稲の根がつくまではたっぷりと降って欲しい。きょうは10日でなんかの日だという気がしていたのだが、先ほど思い出した。今からもう50年以上前の今日、岡本天明氏に筆が下りひふみ神示が降りた日である。私は一切の宗教はピンと来ないのだが、キリストの言葉と、このひふみ神示だけは熟読し、間違いないものを感じている。キリストの言葉は聖書に出てくるので、多くの人が知っているが、ひふみは余り知られていません。簡単に言うと、この世の基本は男女神からなり、善悪一体、男女も一体、ただし順序はある、という内容です。たとえば、善悪一体とは、右に1億トン、左に一億トンの重力をかけたこまは、わずか1グラムの力で回りだします。ただし右にまわせば右回転、左に回せば左回転となる。善悪五分五分が正解だが、順番は大切。ということ。今の教えは、悪を殺せば悪がなくなる、、ということになっているが、それはうそ。悪をなくしてなくしてなくしても、一向に世の中は良くならない。悪を無くせばよくなるというのが、実は悪の仕組み。無くしたら回転運動はなくなる。五分五分だからわずか一グラムで二億トンでも動かせる。ただし順番は命。これが狂うと、まったく違ったものとなります。男女一体、日本は二本が一体のこと。今は男神のみで作った世界。あい別れた男女神が時節到来、再び一体となるとき近し。というような、感じでしょうか。何のことだか、よくわからないでしょうが、まあ、極めて整合性が高い、人間のつくりものではありえないレベルの高さです。岡本天明がおろしたので、天明のみが有名ですが、一二三の内容から考えると、夫婦一体、男女神一体ですから、奥様の岡本三典さんも、同等のお役であると考えるのが当然ですし、またその通りの働きをされております。要するに、天明が筆を下ろし、その解釈は奥様のお役目なのではないでしょうか。実際、岡本三典さんのひふみのお話は、すでに本質の本質である、肉体と食べ物にいきつく。霊肉一体、霊性をことさら求める人は、決して彼岸に行き着けない。なぜなら霊肉一体なのだから。霊が宿る肉体がない限り、立体の世界は訪れない、、、。とにかく、もの凄く論理的に正しいのです。悪は強いですが、それのみでは必ず最終的に論理破綻を起こし、狂気に至ります。そのことを理としてひふみほど見事に語ったものはないのでは。ほとんど数字で書かれたものを、読み解かれていったわけです。二本一体ということは、本質は常に立体構造をしているということ。立体の上に複立体、さらに複複立体、立立体、、と際限なく続く。それは喜びの構造と同じ。喜びは必ず立体的に進む。高度の喜びに至ると、かつての低い喜びには決して戻らない。内包はしているものの、戻ることはない。人を殺して喜ぶものがいるかも知れぬが、もしそのものが人を生かす喜びを知ったら、もう以前には戻れない。私達は立体の世界に生きている。一方に偏ったとき、そのことが見えなくなる。植物は食べられることでその身となり、出世する。人も何に食べられば嬉しいか、、、そこに霊肉一体がある。立体の世界がある、、、、というように、語りだせばきりがないのですが、そうしたひふみ神示が降りたのが6月10日だったわけです。これは読んでるだけでありがたい気持ちになる本でした。また、精読すると、みな天才的なものが出てきます。並列的数をどんなに大きくしていっても、たかが知れてるのですが、立体となると桁外れです。一二三とは、九までが並列の世界、九で極まり、苦しみとなります。しかし、その極まりを受け入れることで、満ち足りた、十の世界、すなわち立体の世界が開けてくる。こともちろらね、、、こと、で九十。以降は立体の世界が永遠に続くわけです。もは百でしょ、ちが千でしょ、、、けまでいくのですから、おそろしい立体の世界がひらけるわけ。並列の世界で強い人は、おおくの数をもつけど、そこは奪い合いと厳しい現実を生みます。立体の世界を開くと見えてくるものは、なに。岩戸開く世が近づく、、、という、キリストの福音もまた、新たな時代を告げているわけです。