2003年06月04日(水)雨

水田にとってはありがたい雨が降ってくれてます。根さえ付いてくれればだいじょうぶなのですが、それまでは水が心配。天水頼りの小さな田なので、この時期は気苦労が絶えません。サミットも終えて、日本の政治も経済もまたこのままいくのでしょうか。それにしても景気は悪い感じですが、中にはとても良いという会社もあるようです。私の知り合いの同業者の方は、原宿に数億円のビルを建てるとか。こうやって儲かってる会社はあるのですが、周囲が良くないので控えめに振舞ってるという話はよくききます。儲かってる会社でも、周囲に合わせて、経費は節減するので目立たないのでしょうね。私のところは大体いつもそこそこで変化ないのですが、このまま何も変えなければジリ貧になる時代です。そのため、常に先を見据えて、新しい挑戦をしていかなくてはダメという厳しさがあるんです。この10年で一番稼いでくれたものが、5回も変わるという変化の早さ。2年前に100万円売り上げていたものが、今は1万円しか売り上げない、、といったことが平気で起こる世界です。なんだか、占いや人生相談の私が、こんな売り上げの話をすると妙な印象を持たれることでしょうが、仕事なのでやはり売り上げのことは重大な関心事なんです。学生時代の時から、私は色々なことをして、お金を得るのが好きでした。最初はバイトを一日に3つも掛け持ちでやったり、わざわざ汚い仕事を見つけてがんばったり。そうのほうがやはりいい収入になったせいですが、とくにゴキブリ退治はプロなんです。三共消毒とかイカリ消毒という大手の会社が昔からあったのですが、今はしりませんが、当時はそういう大手がやってもゴキブリがいなくならない、、、、という不満が結構あって、私が困っているかたがたに、じゃ、やってあげましょう、、、とサービスすると、これがピタリといなくなる。あれは技術が一番大切で、やはりコツがあるんです。おそらく大手の会社では、アルバイトさんの教育が不足しているか、社員の実地体験が少なかったのだと思います。今はもうそんなことはきっとないのでしょうが、昔はそういう傾向があった。ピタリとゴキブリがいなくなったのに驚いたお店の店長などが、今度は同じように困っている同業の仲間にそれを伝える、、そうこうしているうちに、うちもやって欲しい、うちも、うちも、、、という風にして、あっという間に仕事が増えてしまい、意外な儲けになったことが何度かありました。そうやっているうちに、独立して儲けるのはおもしろいな、、、、という感覚になっていったのだと思います。しかし、ゴキブリ退治なんかは、色々なお店を回って、店長に、ゴキブリがいるので3万円で退治します、、、と営業していけば、いまでもいい商売になるような気がします。就職がない学生などは、女子が営業部隊、男子が実行部隊、となってがんばれば、あっという間に年商3000万円ぐらいの仕事ができると思うよ。今は自分たちで独自のものを考えて仕事にしていくのが面白い時代ですね。能力はやっていく中で付いていくので、失敗覚悟でやってみると面白いと思う。しかし私のゴキブリ退治の腕は本物ですよ。宮内庁のゴキブリ退治も長年やっていたんです。宮内庁御用達のゴキブリ退治屋が愛先生だった、、なんて、おかしな話でしょ。学生時代の話ですよ。当時、アルバイトだったのですが、そこの社長さんが、私の話し方がきちんとしているので、宮内庁にはあいつがいい、ということで指名されて、決まってしまったんです。一度そうなると作業員登録するため、会社としては宮内庁の手前あまり名前を変えたくない、ということで、宮内庁行きの時は、星占いで独立した後も数年は呼ばれて行きました。私は天皇にたいする特別は思いはとくにない青年だったのですが、不思議なもので、実際に皇居の中でゴキブリ退治をしていると、なんだか、天皇陛下を影ながらお守りしている、、、そんな不思議な気持ちに勝手になっていたものです。あと印象に残ってるのは、私が勤めさせていただいていたそのゴキブリ退治の会社の社長さんは、今はもうすでに亡くなっているのですが、必ず正装をして、年に一度、昆虫忌という法要に出ていました。