2003年05月29日(木)晴れ
昨晩遅く、今年はじめてのホタルを発見。ふわりふわりと、何匹か飛んでいた。おそらくもっと早い時間には沢山いたのかもしれない。ここのホタルはとても小さなサイズでおそらく平家ホタル。今年もまた来てくれたか、、、と、安心。今色々なところでホタルを復活させようとの試みがなされています。けっきょく、工場を作って町を汚すより、ホタルを再生させたほうが得することに、遅ればせながら行政が気づいたか。ともかく、美しい風土を再生したいとの気持ちは高まっています。しかも日本の基幹産業を、観光に置く英断が下されているのですから、こうした動きは本物になります。美しい国土を再生させるのに一番の早道は、皆が自分の家と庭とを美しくすること。するとあっという間にきれいな日本が誕生します。よく、自分の幸せをガマンして人のために頑張る、ということがありますが、余裕がある人は、確かにそうすべきでしょうが、とくに余裕がない人が、妙に無理をして人を幸せにしよう、何て思うと、大体は変なことになりますね。まず自分が幸せになりさえすれば、全員が幸せになるのですから、一番早いんです。みんなのために、という殺し文句は、だから本当はうそで、みんなのためではなくて、特定の誰かが得しようとするときに、そういう言葉が使われるわけです。みんなのために高速道路が作られ、みんなのために変な病院が増え、みんなのために、奇妙なことが起きているわけです。今は誰もが自分をきれいにしようとするから、日本の女性は、もう全員が美人と言ってもおかしくないレベルに達しています。もしこれを、自分をさしおいて、誰か他の人をきれいにしてあげようとすると、どうなるか。おそらく、今のようには、みんながきれいになることはなかったはず。海の砂を黄色のペンキで塗るのは大変ですが、もし砂粒のひとつひとつが自ら黄色に変わったら、一瞬にして、砂浜の色は変わります。自分が変わることが、世界が変わることだと言うこと。もっといえば、一人が変わることで、世界が変わることでもあります。まず、芸術家や表現者は、一人を感動させること。多くの人にそこそこの評価を求めるのではなくて、たった一人でいいから感動させることができたら、世界中が感動してくれるようになります。量を求める人は、そのことが本質的にわかっていません。大量の支持者という量を求める政治の限界がそこにあります。唯一、互助システムの構築がうまくできれば、量を求める必要はなくなり、新しい政治システムがすぐに構築できるでしょう。なぜ、やろうとしないのかが私にはわからない。おそらく、何かの利益を代表する人の政治だから、量の魔法を解くことができないのでしょうね。リアルでないときに人は量を求めます。人生で大切なのはそこそこの無数の体験ではなくて、少なくてもいいから、リアルな深い体験ということになります。深い感動を一度でも体験した人は、もう安全第一だけのつまらない生き方ができなくなってしまう。自分の人生に深さを求め出す。深い体験がない人は、どうしても安全と量の信仰から抜け出しにくくなります。