2003年05月10日(土)晴れ

とてもさわやかな一日でした。一日中草刈機で働いた。体がばらばらといった感じ。しかしうそのように美しい芝生に変身し、見ていて気持ちいいです。結局掃除というのは、あとの気持ちよさが大きいね。パナウエーブとかいう白の一団は、電磁波をしきりに気にしているので、おそらくフォトンベルトを言い出すと思っていたら、二ビルでしたね。二ビルとは、ゆがんだ軌道を持ち数千年に一度、たしか4千年か7千年かで周回している惑星だったと思う。金星という考えもあるらしいが、確認されている星ではなく、過去の文献や伝説で語られている惑星。これの何が怖いのか、というと、地球に大接近するか、または衝突するためとか。それはパナウエーブがはじめていったことではなくて、ムーなどにはずい分と前から書かれていること。最近の信仰集団は、だいたいムー程度の知識で未来を安易に語るというタイプがおおいです。いくつかの新興宗教教団の占星術知識も、かなり雑で、本質を理解していない、というのがすぐにわかるのが多い。にわか勉強的なことを重要教義にしてしまう乱暴さが特徴ですね。その程度ならちょっとした不思議オタクでも新興宗教がつくれる感じ。ただ怖いのは、ああいう団体はもっと別の大きな見地の勢力からうまく利用されやすいんです。たとえば、もし本当に二ビルないし、フォトン現象があるとしたら、ああいうはねあがり的な軽い団体をさわがせることで、ごまかせますよね。これでもう二ビルの話を誰かにしたとしたら、あの人、おかしい、、、、と思われるわけで、よく使われる手です。たとえば、愛国ということばは、本来は美しいものだと思うけど、右翼が使うから、まともな人はもう、愛国という言葉を言うと、おかしい、と思われてしまうわけです。ですから、愛国者を減らすためには、変な人にそう言ってもらうのが一番なんですね。アザラシのタマちゃんなんかもマスコミが騒がなければ、けっこう女子学生なんかは、怖い、、、とか、汚い、、、とか言って、見向きもしない程度のことだった、という可能性だってあったはず。マスコミが騒ぎ立てるので、安心して関心を向けられる、という主体の無さは日本人に非常に多いわけで、そのことがおそらく世界に流されていると思うんです。思う壺ですよ。日本人はおかしい、気持ち悪い、、そういう印象を簡単につくれるんです。そういうことでタマちゃんは利用されている面が大きいですね。そうやって、ムードをひっぱり、大きな時代をつくっていこうと考える勢力は当然あるわけですね。この世の中に大きなうそというのは、本当に沢山あるという気がします。しかし、今の時代はもううそでは本気で動かせない流れに入っているというのが私の考え。コンビにだって、マクドナルドだって、これまで人の体を悪くさせるために変なものを売っていた、などとうがった見方をする人もいるけど、もちろんそんなことはないのでしょうが、時代のながれには逆らえず、体に悪くない食べ物を売るように進化していますよね。最近はコンビ二のものを食べても、確かに体調がそんなには悪くなりません。添加物はじめ、変なものを本気で押さえる傾向にあるのだと思う。本気で人の幸福と健康を願わない限り、金儲けすらできない時代に入ったのです。この期に及んでまだ人をだまして儲けよう、などと考える人や企業があるとしたら、それはあまりに単純で反対に人が良すぎます。アメリカはまだ武器で世界を納められると思っているのかもしれないけど、それをするとかえって、自分が使われてしまう、そんな時代にすでに入っている。天の意思はいろんなものを上手に使います。日本はアメリカに飲み込まれてはいるのだけど、意外に飲み込まれた喉の奥でその存在を示し始める可能性もなきにしもあらずでしょう。そこまで期待していいかどうかはわからないし、無理かもしれないけど、しかしいち早くデフレとなり、いち早く平和憲法をもち、いち早く行きずまったのですから、なにか新しい時代の流れのなかでのものとも考えられます。大切なのは若い人がいろんな生き方を実践することなんです。会社になんか入らないで、友人と協力しあって従来の方法ではなくても楽しく、誰にも迷惑をかけずに生きていけるというようなものを実践できたら、これは大きいですね。もちろん会社に入るのだって悪くはないのだけど、それしかない、的ではさびしい、ということ。こんなに人のいきかたの選択肢が少なくなった時代はない。一見多いようで実は少ないんです。そのほうが統御しやすいし、国にとってはよかったんですね。しかしそのため全体の活力が落ち、動かなくなる未来が見えてきてしまった。そこで本気であせっているのが現状。学校教育も、それ個性の教育とか、慌て出しているのですが、おかしいのはきのうまで全体主義を言っていた人が、今度は個性重視、と言葉だけでいってもやっぱり弱いんです。その昔、今は亡き実日の柴野元常務が、終戦後にはじめて学校に戻って見ると、それまでとても恐かった校長先生が、みなさん、きょうから民主主義です、、、と。僕はそれ以来、大人を信じなくなったよ、、、と語ってくれてとても面白かった。それはそれでまた凄い生活力を感じはするけど、生徒のほうはゆがみますよね。結局何が言いたいのかというと、もう教える時代は終わったということ。どんな素晴らしいことも教えられているうちは本当には手に入らない。なにごとも気ずく意外にないわけで、誰がそれまで待てるのか、待てる教師や家庭や企業や国がなければ、本当の新しい時代は訪れません。宗教や真理の押し売り、もうそれだけで、何もわかっていない、ということなんです。