2003年04月30日(水)晴れ
明日からしばらくお天気が続くそうです。連休は大体毎年いいお天気で暖かくなります。一年の中でも最高に気持ちよい季節。子供の頃はどの季節がいいって感じたことはないのに大人になると好き嫌いが出てくるのは不思議。考えて見ると陽が長いとか、短いとかも気がつかなかったような気がします。今、目の前にあるものを素直に受け入れて、その中で目一杯遊んでいたというか、生きていたというか、、、。よく大人が雪が降ると靴が汚れるとか言ってるのが、本当に信じられなかったことがある。あんなにきれいなのに、、、、と。これは今でも同じですが、雪は後で汚れるからとか、雪がきれいなんて言うと雪国の人に悪い、、、とか言うのが私には今でもわかりません、。やはりきれいでたのしいものではないかしら。東京や大阪などの大都会に住んでいるものにとっては。靴が汚れることぐらい、ぜんぜんたいした問題ではないし、多少交通が混乱するぐらい、かえっていたずらっぽくて楽しい気がすると言ってはダメかしら。今は子供でも雪を寒いと言って嫌がる子がいるらしいけど、本当は雪がいやなのではなくて、実は人生がつまらない、、、生きていても楽しくない、、、そういうときに、単にそう感じるのではなんて、意地悪く考えてしまいます。つまらない思いで生きているときって、ほんのちょっとのマイナスでも、何かとんでもなく大変な気がするのではないかしら。と、雪をどう感じるなんて、本当はどうでもいいのだけど、昔大人が、雪を見て、本気でアアいやだ、、、という顔を思い出して、つい語ってしまった。うちのお母さんも本気でいやな顔していたな、、、。いつも和服を着ていた人だから、きっと大変だったのでしょうね。それとも人生がつまらなかったのかな。人はなぜ人生をつまらなく感じるのか。理由は色々あるでしょうが、自分で決断した生き方をしていないからなんだよね。それ以外理由はない、といってもまず間違いないことなんです。何をやるかが大切なのではなくて、いまやっていることが、自分の決断したことかどうか、が大切なんですね。私は本当はこうしたくなかったけど、皆がやれというから、、、的に生きてる人が幸せを感じることはまずないものね。例えば会社が大嫌い、でも生きるために仕方ない、、という考えではますますイヤになってしまうよね。会社は嫌い、しかし、いきるために、今はここに居ると決めたんだよ、、となるとだいぶ違ってきますよね。自分でとりあえず選んでいるのだから、会社で何かいやなことがあっても、自分の決断の結果ゆえに抑えられる。しかし、いやな生き方をしかたなくやらされている、、、的に考えてる人は、これはストレスに非常に弱くなって当然。またおもしろいことに、それも運命が意地悪していじめているのではなくて、まずい生き方をきずかせて変えるように促すためにわざわざ追い込んであげている、という親切からなんです。おかしいことが起こるのは。ですから究極の開運の方法は、不幸を感謝で迎える、ということになるのだけど、やはりなかなかできることではないよね。ただ不幸に対する耐性は人によって本当に違ってきます。しかし何であれ、今生きている以上は、間違いなく私たちは生かされているのは事実。生かされている以上、何が起きていても、それは私たちに最善の方向を指し示すために運命とも思える力が動いているということ。だから、不平不満が一番、物事を理解していなといえるわけで、不平不満を言うのは、一番損な生き方になります。分かっちゃいるけど、、、まあ、つい言いたくなるのですが、やっぱり感謝しちゃったほうが本当は得なんだよね。それがイヤなら、阿修羅のようになって、悪の大王ぐらいになるつもりがなければつまらないかも。本当の悪人はだからやはり力は強いんですよね。これは個性の問題かもね。私は口では強いほうだけど、実際のところは善良な生き方のほうが似合っている気がする。これはそのほうがいいとか言っているのでは決してなくて、個性の問題としてそう思う。だから、何か大問題が起こると、私はすぐにあきらめて運命を受け入れてしまう弱さは人一倍あります。悪人はその点、本当に強いんです。そういう人が一度改心したら、やはり本当の大物になるんだよね。