2003年04月23日(水)曇り
水田に水が張られ、アゼは雑草が適度に刈られて、薄い緑のジュウタンとなって、とてもきれいです。ただし悲しいことにそれはよその水田。私のところの水田は、今年は地割れがひどく、大型ユンボーで整備しなおさなくてダメな状態。ユンボウはないし、操作もできないし、建設屋さんに頼んでいるのに、ずっと来てくれない、、、あの手この手でどうにかきょう来てもらったのですが、どうもうまく整備ができないようで、雨を理由にまた来週ということになってしまった。5月2日には友人が田植えを手伝いに来てくれるのだけど、間に合うのかどうか、、、心配。そういうこともあってか、よその家の美しい水田を見ると、本当に豊かなものを眺めた気分になります。しかし、水田ほど美しいものはあるのかしら、、、というぐらい、美しく感じるこの頃。私のところの水田も毎年それなりにきれいですが、しかし、何十年、何百年と手入れされ続けている日本の水田は、これはやはり別格の美しさがあります。ああいうきれいな水田を維持できると言うのは、私には人間のほこりの最高のものさえ感じられてしまう。わたしの水田はまだまだそこまでは到底行き着けません、、。何年にもわたって石が沈み、アゼの石や凹凸がきれいになくなり、丸みを帯びてきて、それ自体で調和した世界を表現している、、、田には神様がいて、本当に不思議のない世界です。あそこまで私にはまだできないので、やはり一人前ではまだないというしかありません。ああいうものをつくれなくてはダメだ、、、という気持ちが高まった。水田を高度の美しさで維持できるというのは、本当に素晴らしいことなんです。食糧自給の面から水田の重要性も大切なのはよくわかりますが、美の面から言う人は割りに少ないですね。美しい水田がもてるようになったとき、なにか私の求めている自分のひとつの姿というか、表現ができる、そんな気がしました。しかし、水田には、かっぱの神様がいるという話は昔からあります。水田に水がはると、山からかっぱの神様が水田に来てくれて、田を守ってくれるのです。秋になって、刈りいれ前に水が引く頃、河童はお仕事を終えて、再び山に帰って行きます。ああ、美しい水田、、、私は本当に水田に今、恋心を感じる。昔は水田はあまり好きではなかった。何か弥生的なものを感じて、縄文的な感じがせず、大体、木を切って作ったというところがいやだったのですが、頭では今でもそうは思うけど、体感はまったく違っています。水田は美しいです。