2003年01月05日(日)曇り
風が強い上に寒い日が続きます。昨年は秋がなくてすぐに冬になってしまった感じでしたが、本当に地球は温暖化してるのかしら、なんだか寒冷化しているような気にもなってしまうこの頃。しかしもう5日。例年思うのですが早いですね。結局昨年末は忙しくて年賀状が書けなかった。1日にくれた方々、大変申し訳ありません。毎年遅い年賀状になって、不快に思っている方もきっといることでしょうね。しかし、忙しいと言うこともあるけど、どうしても年末に年賀状が書けないんです。これは昔から一貫しています。私の年賀状を1日にもらった人は、まずほとんどいないはず。新年の気分になるのが、早くて大体1月の15日からなんです。昨年なんかは、あまりに遅くなって、かえって申し訳ないので、立春大吉と書いて、あえて遅くなった工夫をしたほど。しかし、何かそのほうがおめでたい気分になったのも事実。1月1日は早すぎますね。グレゴリオ暦のせいなのですが、天体との整合性はまったくありません。正月をまだ冬至にするとか、立春にあわせるとか、春分でもいいかもしれません。どうしても早くしたいのなら、せめて山羊座の15度までは待って欲しい感じがします。ちょうどきょうあたりになるのですが。きょうあたりから、ぼちぼち年賀状を書かなくては、、、という気分になるからです。私の場合。しかし、うまくやられたと思います。結局暦を納めるものが世界を支配するというのは、歴史の常識。天体の運行との意味付けを失った現代人類は、一部の人間の支配構造に操られやすくなってしまっているんです。これが旧暦ならば、天体の運行との整合性がでてくるので、一部の支配層の意思とは関係なく、ひとりひとりが大きな宇宙時間とつながることで、そうした意思から自由になれる要素が大きくなるのですが、現代の人間は、一種の奴隷状態というか、作為に気づけない信仰状態におちいっているわけですね。だから直感が大切なんです。直感でしか気づけないものが大切で、情報はほとんどどこかの意思を通している、要するにコマーシャル世界なんです。味がわからなくなった人が大勢いるから、直感も働かないんですね。味は理屈ではありませんから、味覚を麻痺させることが、集団を都合が良い方向に引っ張る作戦としては一級なんです。おふくろの味を失ったことは、非常に大きいんです。おふくろの味とは、作る人の思い、喜びがこめられた味だ、ということなんです。たとえ体に良いという自然食品の味でも、私は自然食品のお弁当がいつもまずく感じていて、これを食べ続けると体を壊すな、とさえ思うときが多いのですが、なぜかというと、頭で作った味だからです。どんなに添加物が入って無くても、作る人の喜びがない味は体に悪いのです。あと、自然食品のお弁当には、憎しみの感情がこめられているのを感じることがあります。一方マクドナルドがいま、どんどん収縮していますが、行き着くところまでいくと、人は危機意識で何かを感じるのかもしれませんね。いずれにせよ、味は非常に高度な情報をリアルに私達に伝えてくれます。ここを麻痺させると時代を動かしている力を知ることはできなくなります。