2002年09月25日(水)晴れ
稲刈りが終えたのはいいけど、脱穀を早くやらなくては。あと、冬の野菜も植えなくては。冬の野菜は、種まきが一日遅れると、収穫は二週間ぐらい遅れるのもあるんです。今の一日は非常に大きいんですね。仕事の合間にやるので仕事が忙しいとどうしても遅れてしまう。どんなに仕事が忙しくても、いざ畑仕事をしだすと、面白くてそっちに一日中時間を割いてしまうので、仕事優先の姿勢でないと残念ながらいけないわけです。しかし、仕事はこれまでにずい分私はやってきているので、もうそろそろ好き勝手にやろうか、という考えもあります。これまでもどちらかというと好き勝手にはやってきてはいるのですが、やはり人には天職というものがあるような気がしてきました。自分にとっての天職は何か、ということなんですが、これはやはり普通にはなかなかわかりません。年齢が必要なんですね。50歳を迎えるあたりから、なんとなくわかるケースが多いような気がします。私もこのところずっとそのことばかり考えていたんです。そしてわかりました。やはり文章を書くことがすきなんだと、再認識。まるで学生の言動みたいですが、本当にそう思いました。私は文章は、これで食べているわりには上手なほうではありません。それは正直に認めるしかないのですが、しかし、魂の満足というと大げさですが、やはりそれは書くことによって得られることがなぜ今になってわかったのか、不思議ですが、そう思いました。天職というのは、何もそれで成功するとか、失敗したら困るとかいうのとは違うんです。迷いが無いということなんです。だから天職がわかるまでには、努力もしてこなくてはならないし、生活の心配も克服してこなくては一般的には偽善的な形になりやすいし、結構時間も労力もかかるものなんですね。若い時代は、ですから天職は何かと問うのもたいせつかもしれませんが、それよりも、やはり今の自分の生活を確立し、欲求に素直になって、金が欲しければそれを真剣に得ようとし、名声が欲しければそれを求め、愛が得たければそれを求める、というように生きていったほうが本当は早道なんです。若いときから迷いが無い人も確かにいることはいます。たとえば、私は、自分には歌しかありません、、、とか言う言葉を聞くと、素直に感動するのですが、そういう人も多いわけです。しかし、それだけでは生きていけない人が多く、結局歌が好きということで、かえって現実生活の維持とのギャップのかなかで、自分が傷ついていってしまいます。しかし本当に迷いが無く歌がすきという人もたまにいるのです。まったく場末の世界でも、ただ歌が歌えるということだけで、何の迷いも無く生きている人がおり、これはその人の存在が芸術なんですね。文句無く偉い人です。私の場合は転職を見つけるまで時間がかかりました。ただ思うのは星占いでは、私の天職は物書きなんです。そういう意味では星占いは本当に当たります。これは太陽の位置するハウスで見るのですが、やはり太陽は天職を現しますね。成功するとか金が入るかというレベルではなくて、さっきも言った魂の満足ということですね。では私の場合は、これまでにも書いて仕事をしてきたのだから、転職ではないかと思われるでしょうが、やはり違うのです。意識化されないと喜びにはならないんです。きょうは自分のことばかり話してごめんなさいね。みなさんもいずれ天職が見つかることでしょう。それは探すのではなく、天職が与えられるときが来るということなんです。迷いが無いところまで行けるかどうかでもありますね。そのためには散々迷い、自分の欲を見つめ、行動し、ということがかえって早道なんですね。