2002年09月19日(木)晴れ

移動の連続で長い間日記がかけませんでした。その間に色々な出来事が社会ではあったみたいです。北朝鮮と日本の間にはトップ会談があり、拉致問題が後をひいています。これまでは国家間の出来事の前では、国民の少数の命は軽んじられてきましたが、もうそういう時代ではないんですよね。人ひとりの命の重さの方が、国家よりもおおきことを今回の出来事は見せ付けてくれました。本当にそうなんですよね。おそらく小泉さんたちにも、そこまでの思いは無かったと思いますよ。人一人の命の重さが、国家をかいたいしてしまうような事態が今後起きてくるでしょう。これまでのように、主義や主張や、思想のほうが人間の命よりもたいせつだったなんていうことが、異常だったんです。韓国はもっと深刻で、拉致問題では数百人がいなくなっているんですよね。しかも国家間の関係のほうが大切とばかりに、あまり取り上げられてこなかったなんです。異常な事態ですね。こいうことが続くと、いずれ国家幻想ガ起きてくるでしょう。国家なんて必要ないのでは、という本音です。実際、そういう面は文化が進んでいく過程で、必ず必然性を伴ってしまうんです。ですから、これから世界で起きることは本当にダイナミックで面白いんですね。個々の多様性を認め、それに沿った全体性を作らなくては、発展も未来もない、というところまで、あと、10年ぐらいでどの国も追いこまれるのではないでしょうか。これは国に限らず、会社や学校、あらゆる組織が同じなんです。これまでは全体の維持のために個の存在がないがしろにされてきた異常な状態だったんですね。学校の廊下をバイクで走るような変な中高生がいる荒れた学校がよく問題になりますが、あれも結局は組織重視の学校と同等の跳ね上がりが起した問題であって、表裏一体なんです。全体を個を犠牲にしてまとめようとするか、またその反動として全体を壊すことだけに意味を見出すかの、争いだったわけなんですから。どちらも格好が悪いわけなんです。しかし拉致問題はこれまでないがしろにされてきたことがああいうニュースを見るとよくわかりました。あらゆる組織に一種の温情というか、人間味がなくなったら、本当は存在の意味はないんです。集団や組織や方法が大切になるところに、今後力は注がれなくなると思います。本当に時代は変わりだしています。この日記を読んでいる人の中にも、周囲によって圧力を受け、自己の存在が危機に瀕している人がいるかもしれませんが、迷わずに逃げることです。そういうものと関係ない世界に早く身を置くことです。そのためにこそ勇気を使わなければ、勇気なんて使うところがなくなるでしょうから。避けて通ってはダメなんです。飢え死にする覚悟で自分の行き方を通せば、間違いなく誰でも開運するんだけどね。