2002年08月29日(木)晴れ
8月ももうすぎ終えるけど、きょうは本当に夏らしい一日でした。31日にうちで歌会があり、楽しみなんですが、お客様の一人の方のワンちゃんが、2匹、ついてくるそう。大型犬でものすごくお利巧なので、こちらはまったく心配してないのですが、うちのノラちゃんがどう出るかが心配。いいところを見せようとして、いきなり飛びついたりしないか、飛びついたとしても、あっさり振りとばされてしまうでしょうけど。まあ、ノラのでも結構うちのも頭がいいから大丈夫でしょう。しかし、もの凄い歌会になるな、きっと。大きな犬が3匹もうろうろする中で行われるなんて、強烈な秋の実りの歌会になることでしょう。棚田の上の芝生でやるのですが、どういうスタイルにしようか、どういう設定にしようかと、考えるのは楽しいです。こういう職業があるなら、本気でやりたい。イベント業ということになるのでしょうが、歌会の企画と実行では食べてはいけないでしょうね。歌会はたとえ手作りの小さなものでも、うまくできたときは、大げさですが、場の空気が本気で清められるのが、相当鈍感な人でもわかるぐらいになるものなんです。言葉の力ですね。だから一度やると病みつきになります。歌会に限らず、ライブの持つ力を知ってしまうと、音楽好きにしろ、舞台好きにしろ、狂いますね。しかし、文化的感動というか、ライブに狂えるのは、本当に幸せです。昔、西馬音内という秋田県の小さな町で行う、盆踊りがあるのですが、今は相当有名で、知る人は多くなりましたが、その踊りが魅力的なんです。その時期になると、村の人はみんな都会から戻ってくるし、また近くの県からもぜひ自分も踊ろうと、踊り愛好家がやってきます。いざ盆踊りが始まると、初めて見る素人の私にさえ、ああ、この人は西馬音内の人、この人はよその人、と、わかってしまうんです。どんなにうまく踊っても、地元で育った人か、よその人かがわかってしまうんです。そして思うのは、人の幸せには色々とあるでしょうが、何が幸せといって、生まれたところに文化があって、それに子供の頃から親しみ、そこで育った人しか表現できないものを体現できるようになる、そんな幸せが、一番すごいと私は思ってしまうんです。そういうのが無い私ですから、とくに思うのかもしれないけど。せいぜい、中学生のときから15年ぐらいは歌い続けた賛美歌が私の文化の核になってるのですが、生まれつきの文化的環境の中で育つことは、私の夢でした。今は、コンクリートの家に生まれ、育ち、コンビにと、一貫教育と、収奪社会で苦労する社会生活と、、、本当にうまくやられてしまいましたね。人間は。お金や地位や名誉がなくても、子供の頃からの文化の香り、エッセンスを身にしみこませている人は、しあわせなんですよ。そういう時代をまた作りたいものですね。日本語だけは生まれたときから使ってるので、歌会はいつでもどこか根本の何かを刺激するのでしょう。文化なんですよね。それを失っては意味がないんです。