2002年08月13日(火)晴れ
今年のペルセウス流星群は残念ながらあまりよく見えませんでした。前日は晴れていたので10個ぐらいの流れ星を30分ぐらいの間に見ることができました。今夜もよく晴れていたので見てみると、わずか40分程度で、10個ぐらいを見ることができました。風が強くて雲をよく吹き払ってくれるので、一瞬にして雲が去り、きれいな星空が広がる光景をみることができた。しかし星空は見飽きるということがありません。私達はきっと宇宙とつながっているんでしょうね。何事も大きな視野にたつと、なんであんなことでこれまで悩んでいたんだろう、、ということが多いのですが、おそらく星空を眺めて、そうした思いを抱いた人もいるはず。今の時代は何かと多事多難で、多くの人は何かにいきずまっていたり、何かに破綻している、そういう時代なんです。金銭面、愛情面、家庭面、健康面、仕事面、性格面、、、、と、何かでいきずまったり、破綻している状態。こういう時代だからこそ、大きな視野が必要なのかもしれません。大きな視野にも色々あるけど、人生観のスタート地点はとても大切だと思います。ひとことで言えば、人生に苦はつきものだ、というスタンスからスタートした人と、人生は楽である、というスタンスからスタートした人とでは、同じ体験をしても、受け取り方には大きな相違が出てきます。人生は楽と考えている人にとっては、苦痛は予想外のできごとになり、苦痛に耐える免疫力は弱くなります。一方、はじめから人生は苦しいものだ、というスタンスにたつ人にしてみれば、困難が襲っても、それを受け止めることは比較的に可能でしょう。それは何事も用心していた方がいい、というようなことではなくて、事実として、人生には苦がつきものである、ということなのです。そして、事実に沿っていきるとき、私達は強く生きられるわけです。そんなはずじゃない、と思って生きるのと、なるほど、、、と思っていきるのでは、強さが違ってきます。本来、人生に苦は付きものであることを、周囲が教えてくれる環境ならいいのですが、テレビを見ても、雑誌を読んでも、何か楽しそうに生きることだけが人生であるかのような、そんな印象を与える内容ばかりですから、つい勘違いしてしまうのでしょう。そして多くの若者が事実でない人生観からスタートしますから、どうしても弱いのです。例えば結婚に夢を持つのは、これは当然でしょうが、夢だけを信じて結婚したとしたら、これは心配です。育った環境が違うもの同士、また、考えも感じ方も異なる同士が、夢の共有のみで現実生活をスタートさせたとしたら、どうなることでしょう。はじめから、たとえどんなに愛し合うもの同士でも、きっとうまくいかなくなったり、行き違いや、つらいことがある、、、と、そう捉えて結婚しなくては、現実に対処することは難しくなると思うのです。今の、幸せなイメージ先行のマスコミ文化、コマーシャリズムには、事実はどうでもよいという、経済優先のカラーがおおっていますね。結婚は、楽を求めることではなく、苦楽を共にするというところに意義をみださなかったとしたら、なんだか恐ろしいことになりはしないでしょうか。理想はもちろん共に楽で幸福であることですが、事実は、苦楽があるのです。何度も言いますが、事実にそって生きるとき、人は強く、また、手ごたえを得られるのです。苦楽を共にする覚悟があるかどうかが、ですから結婚を決める際の、絶対条件になるわけですね。なぜ事実が大切かというと、生きているリアリティだからです。理想は大切ですが、私達が生きる場所は現実です。リアリティを受け入れなければ、自分の人生ではないんですね。呼吸ですら、吸う、吐くと、まるで異なる二面からできています。生きるということは、楽の一面だけを得ようとしたら、リアリティを離れ、架空の彼方に自分の人生を追いやることになるわけです。森田正馬は、苦痛もじっと味わってみると、苦い味わいがあり、いいものだ、的なことを言ってましたが、自分にとって都合の悪い現実から逃げなくなったときに、私達は自分の人生を歩むことができるようになるということなんです。また、受け入れてしまえば、実は苦も楽もない、ということでもあるんですね。これは神経症になるとよくわかります。神経症は都合の悪い現実をまずいものとして、必要以上に排除しようとして陥る、精神の特殊症状なんです。どんなに都合が悪かろうが、それが現実ならいたしかたないとして、苦しくても受け入れた時、神経症は完治するんです。そして副産物として、苦も受け入れてみると、実は苦でない、ということがわかるということなんですね。もちろん、苦は苦なんですが、苦というよりも、リアリティの喜びの方が大きいわけなんです。喜びを素直に受け止め、その永続や永遠化を願わず、ただ喜びに成りきれば、人は幸せですが、一方で、抵抗できない大きな不幸に身を任せたときも、また、幸せになれる、私達には二つの道がいつもあるわけなんです。本当に私達のことを考えてくれている、まさに愛の仕組みの中で、私達は生かされているわけなんですね。