2002年08月08日(木)晴れ

とても風の強い日がつづいています。しかしこの頃は毎年、太平洋高気圧の影響で、天気の良い日が多いですね。一番残酷な季節は何かしら、、、と尋ねたら、多くの人はおそらく夏とこたえるのかな。それはわかりませんが、春は過ぎても残酷さはないし、秋が過ぎていくのは残酷というよりは悲しさに近いし、冬が過ぎていくのは、これは多くの人にとって喜びです。夏がなぜ残酷かというと、多くの人がそれを待ち望み、自分に残されている情熱を何かで確認したくなる、そういう季節だからかも。しかし、夏はやがてピークを迎え、そして過ぎていきます。その時すべての人の情熱もまた過ぎていくように感じられるのです。宴の盛り上がりと宴のあとに似た夏の通過は、祭りにもよく現れます。ねぷたが終われば東北の短い夏は終わりです。各地の夏祭りのあとには、すでに夏は衰えているのです。なのに人は祭りを待ちながら、夏を待ちながら、一年を送ります。信州の夏も非常に短くて、夜に外に出て安心して楽しめるのは、せいぜい8月の10日まで。それを過ぎると、忍び寄る秋の気配が、風や虫の音にあらわれてきます。信州の山奥で暮らす私の知合いの老人は、冬に会うたびに、春に会うたびに、夏を待ち望んでいることがわかります。なのに夏のピークにはどこか元気がありません。夏を待ち望みながら一年を生きて、そして夏を迎えてみると、それはすぐに過ぎていってしまう時なのです。しかし老人はまた、次の夏を待ちながらまた一年を生きていきます。時の経過には、こうした残酷さがあるのですが、しかし、それもひとつの見方なのかもしれませんね。私はなぜか、赤ちゃんや小さな子供を見るたびに、その子が老人になっているときのことをイメージしてしまいます。その子が老人になって、自分の人生を振り返っているというイメージが沸いてきてしまうんです。反対に老人を見ると、生まれて初めて歩いた時の気持ちが、まだその老人の中に息づいていて、永遠の若さの中で歳を重ねているように見えてしまうんです。実際、老人って子供に似たところがあるでしょ。だからかもしれないけど。しかし、夏になると、時の流れのことを、なぜかいつも考えてしまいます。今日は立秋。