2002年07月29日(月)晴れ

きょう、稲に花が咲きました。ご近所の稲はすでに穂がついており、わたしのところは今年もまた遅めです。とは言え、今年は早いです。7月に稲の花が咲くなんて、なんだか信じられません。この分だと、二回お米がとれるのではないかしら。普通は田植えから収穫まで150日かかるんですが、今年は120日ペースで、一ヶ月は早いですね。バリ島並みです。最近は穀物ブームで、米のほかに、アワやキビ、ひえや、豆類を入れてご飯を炊く人が多いとか。私も数年前に一時凝ったのですが、結局お米にまた行き着きました。そして思ったのは、やはりお米は特別だということ。とくに玄米はおいしいですね。日ごろ玄米を食べて、たまに白米を食べると、また、これが最高においしく感じられます。ただ玄米は人によって好き嫌いがあるようです。この3年は、わたしはまた白米に戻っていたのですが、数日前から玄米にしたら、やっぱり玄米の方が私はおいしく感じます。自分が炊いた玄米が一番おいしく、お店や専門店的なところで食べる玄米は、一度もおいしく感じたことはありません。あれは、白米とほとんどかわらずに炊いたほうが、おいしくできると思うのですが。水が多すぎるとまずくなるし、まして、圧力釜で炊いた玄米は私はダメです。まったくおいしいとかんじられません。体調が悪いときには、玄米茶粥はかなり効きます。水大目に玄米を少量入れて、ゆっくり煮るのですが、やわらかく吹きこぼれるようになったら火を弱めて、さらにゆっくり煮て、お好みのところで濃いお茶を注ぎ、さらに数分煮て出来上がり。体のすべてを洗われるような、そんな食後感です。玄米の香ばしさは、水を入れすぎて炊くと、なくなるので注意。言われている常識とかなり違う感じがします。とは言え私が最高においしいと思っている玄米ご飯は、他の人はあまりおいしく感じられないというケースも結構ありましたから、やはり自分の味を追及した方が面白いと思います。私達のすべての悩みの解決は、お米にあります。お米の一粒一粒と、ぜひ、会話してみてください。どんなときにも、必ず答えてくれるでしょう。私達を生かしてくれている根源の輝きがそこにあるのです。お米が光って見えるようになったら、すべての問題は解決しているのです。なんのことかわからない、、、、って? しかしお米と生きかたは関係するもので、ある人は毎日六杯のご飯を食べるし、ある人は玄米なら3杯で十分というし、もっと凄くなると、玄米の生食なら一日ほんの少量で十分という人もいるくらい。生食とは、水に浸して、玄米の芽がやや発芽したものを食べるらしい。やってみたが、食べることは確かにできはします。もちろんおいしくはありませんでしたが、人によってはおいしいといいます。食料というのは、食べる量が少なくなればなるほど、食べ物に感謝の度合いが高くなります。すると、食べ物は感謝されるため、本来の力を発揮するようになるのです。その結果、ほんの少量の玄米の生食でも十分に生きられるようなこともおきてくるのかもしれませんね。いつもというわけにはいきませんが、私達も何かにいきずまったり、悩んだりしたときは、食べ物を減らしてみるというのが、実は基本なのかもしれません。しかし、そんなことを人生相談で言ったら、怒られるだろうな。本当なんだけど。