2002年07月25日(木)晴れ

真夏のはじまり。色々な方からの励ましのメール、ありがとうございます。昔からのファンの方もいてくれて、とても勇気ずけられます。質問も寄せられるのですが、前回の日記に自分が主人公で生きるのはよいけど、自分勝手になりはしないのか、と、何人のかたから寄せられました。そういう心配はありません。みな自分の本分に従って生きていくほうが、ストレスもなく、良さが出てくるからです。あと、自分勝手に生きるといっても、自分の中には色々な面があり、どんなに性格の悪い人でも、そればかりしていたら、回りから嫌われて、孤独になったりして、だんだんときずいていくわけです。人は気づけば自然と変わります。教えてもすぐに忘れます。教えではこれからはダメですね。気づきが大切なんです。結局人は、自分の経験から学んでいくんです。教えられたことはすぐに忘れるけど、自分で気づいたことは決してわすれません。よい事を義務にしてはいけないわけです。人に優しくしましょう、と教えると、乱暴な人が実は増えてくるんです。気づいたことでない限り、本物にはならないのです。もちろんルールとして教える、守らせることは大切ですが、その延長線に大切なものはありません。私たちもそのことを知っていなくてはダメなんです。しらないと、ああ、ダメ、もっとこうしなくては、、、、という義務付けされた苦痛の挑戦ばかりが人生に多くなって、結局つまらない人間になってしまう危険があるんです。つまらないとは、自分にとってですよ。短気を直そうと思っても短気はなおるものではありません。自分が短気であることに、短気を起こしているそのときに気づけば、短気をなおそうなんて思わなくても自然に収まるんです。振り上げたこぶしを下ろせるのは、今、自分はこぶしをあげているということに、気づいたとき以外にないのです。しかし人は自分が撃った弾が自分に戻ってくるまで、気づけない、そういう存在でもあるでしょう。公害の問題もそうですし、私たちの貪欲から生じた経済の問題もそうでしょう。しかし思うのですが、人間はもう、試練を通さなくても気づいていける時代にはいったのではないでしょうか。もう、苦しむ必要などないのです。日本はとくに原爆を使われた最終戦争の形態を体験したのですから、多くの方々の犠牲は、もうこのような苦しみを通さずに気づいていって欲しい、、そういう願いとなっていることでしょう。戦争でなくなった方への最大の供養は、私たちが苦しみを通さずにきづかなくてはならない、そういう時代を築くことにあるのです。もう十分ですよ。これ以上、人は苦しむ必要はありません。世界ではまだ多くの苦しみと悲しみがありますが、先進国の原爆を体験した日本では、もうそれではいけないんです。人の中には、わがままや貪欲さ、自分勝手な面がある一方で、決してそれだけでは満足できない、おおげさに言えば神としての一面があるわけです。自分だけが金持ちになるより、仲間も金持ちになって一緒に遊んだほうが、これは面白いに決まっているのです。苦痛を通さずに気づくとはそういうことなんですよ。財布を独り占めしてこそこそ使うより、他人にも使ったほうがより楽しい事が、当然あるわけなんです。この世がそうなっていくと、実は苦痛がなくなっていくんです。もう人間は自分勝手に生きていいんです。悪い面だけが出るというものではないんです。下手に理想を教えようとするから、変になってしまうだけで、誰でも時がきたら自然と気づいていくに決まっているんです。もしくは、すぐに行き詰ってくれます。行き詰れば、多少は苦しみますが、すぐに気づくので、心配要らないんです。