2002年06月24日(月)晴れ

宝塚記念ではダンツフレームが悲願のG1奪取。これまでダービー、皐月賞と、ともに二着と涙をのんだ馬が、やっとG1を取れました。前回もやはりG1競争の安田記念で無念の二着でした。ちなみにこのとき勝った後藤騎手は初めてのG1で、男泣きに泣いていました。最近の日本人男性は、結構人前で泣きますね。政治家や実業家もそうだし、スポーツでもよく泣きます。少し前まではあまりそういう場面は見ることは少なかったような気がします。相撲の千代の富士が優勝すると泣いてましたが、あれからではないでしょうか。嬉し涙は見ていてもいいものですが、へんなことをした会社の社長が涙をながしてもあまり説得力がないですね。たしかに人生には浮き沈みがあり、ついてないとき、不本意な時、実力を正しく評価されない時などがあるものです。しかし、実力がありながら不運が重なって優勝できなかった馬も、今回のダンツフレームのように、いずれはG1を勝つというように、やはりいつかは正しく実力に見合った実績を残すものなんです。これは馬に限らず、人間も同じなんですね。多少の遅い早いはあるでしょうが、やはり実力と言うか、その人が持っているものは、意外に正しく、人生は評価するものなんです。だから怖いともいえるんですね。実は言い訳ができない、そういう世界に私達は生きているんですよ。一時の運不運は、確かにあるけど、総合的に見て、人生は意外に公平だと感じます。今の自分の状況というのは、運や不運の結果としてではなく、意外にただしく実現されているものなのです。たまに、いわれなき状況で苦しみ続ける人もいることはいます。しかし、そういう人の場合でも、自分の運命を受け入れるようになると、今度は常人では決してたどり着けない深い世界の入り口を開けることができるようになるんです。そう考えると、この世は不公平に見えて、それほど不公平は無いのかもしれません。私が20代の頃、ノイローゼで悩んでいるのを見た芸術家志望の友人が、私をうらやましがったことがありました。なぜかというと、友人は自分があまりに一般的な感性しかないと感じており、狂気に近い私の感性に、憧れを抱いたのです。まったく勝手な願望ですが、確かに彼はその後大会社に入社し、一般ルートで出世していきました。私は就職をあきらめ、自分の好きなことで独立していきました。どちらがいいのかはそれぞれに決めればよいことなのですが、彼がなぜ私の狂気をうらやましがったのかは、今になればよくわかります。結局、人生は決して不公平ではないけど、自分の本質に合わない生き方をしたら、うまくいかないものではあるのです。私のように、狂気を生かしたほうが、うまくいく方向もあれば、体力を生かす生き方もあれば、頭脳を生かす生き方もあり、要はそれぞれに自分のやり方を実行した方がうまくいくということなんです。今のようなうらやまし文化は、あたかもこういうのが成功というイメージを与えるため、多くの人が自分以外の自分になろうとして、おかしくなっているんです。頭は頭、手は手、足は足、それぞれの生き方があるのに、もったいない話なんです。人間の最大の病気は、自分以外のものをうらやましがることなんです。それはまさに、自分以外のものになろうとするのですから、確実に、死にいたる病となります。