2002年06月20日(木)雨
風がある日はホタルは出ません。風の通り道にあたるこの家は、今夜は冷たい風が吹いていて、足元の暖房を入れながらいま、書いてます。明日は夏至です。もう年の半分が過ぎてるんですね。夏至の詩をつくり、明日は歌って植物に聞いてもらいます。きょうは雨の中で、水田の草取りをやっていたら、わんちゃんがすまなそうな顔をしてやってきました。雨の中で何かをやってると、必ず一度は顔を出して、すまさそうな顔をしてそばにいます。雨に濡れるから、向こうにいってなさい、というと、すぐにいなくなり、縁の下で雨宿りしながら、あえて目を合わせない、利口な犬です。ご主人様が雨の中で仕事をしてると、何か悪いような気がするのかも。考えすぎの犬で、あちらも生きていくために大変なんでしょうね。犬のああいう律儀さはどこからきてるのかな。人間との仲が長いせいかしら。しかし犬はなぜかさびしそうな顔付をしている犬が多い気がします。アングロサクソンのひとにも、どこかさびしそうな顔付の人が多い気がするけど、アジア人にはあまり感じません。外見で人を判断してはいけないとはいうけど、大体は外見でわかる部分も多いのも事実です。人間の顔には、やはりかなりのものが出てきますよね。日本人はこのところ顔が浅い顔になっています。おおっ、と思う顔にあまりお目にかかれない。かつてのヤマンバギャルなんかは、深みへの挑戦だったのかもしれないですね。あの子たちをとりまくものが、すべて既成の、大量生産の物ばかりで、時間もオートメションのなかで流れ、規格化のなかで、窒息しそうになっていたことでしょうから。今の女子高生の制服も、考えようによったら凄いですよね。スカートはひざうえ25センチはあり、はっきり言って、もうこれ以上短くしたら下着がもろに見えるところの限界まで来ています。なんで学校はあれを許してるのかわかりませんが、あれはおしゃれではなくて、コスプレの世界なんですね。若い子は、おしゃれを追求しているように見えて、もうコスプレの仮想世界でなくては生きられないというところまできているんですよ。よくもあそこまで日本は若い子を追い込んだとおもいます。早く色々なイメージが具現化されて、個々にそれぞれの神話が誕生していくといいのに。人は生きたイメージ亡き世界に生きるのはつらいことです。きょう老人医療のテレビ番組を見て思ったけど、入院中の老人のために、クリスマス会を開くんだけど、キンキらの飾りつけに、サンタの服の看護婦さん、それはそれでもちろんいいのだけど、老人になってなお既成のイメージでお祝いされる悲しさは、格別なものがありました。人から文化的な背景を奪ったこの100年の歴史に、もういい加減にしなさい、という気持ちがつのります。