2002年06月19日(水)晴れ
きょうは久々の晴れ間で、さわやかな一日でした。街中を車で移動し、夜遅くに山の家に戻ったのだけど、途中、都心では荒れた運転の人が多かったです。偶然なのかもしれないけど、サッカーの敗戦や、株価の低迷など、夢がいだけるものがないのかもと、そんな風にも見えました。やはり未来の希望がないと、人間は元気にはなれません。日本の政治家は偉そうにしている人が多いのに、なぜ国民に、未来のビジョンを見せようとしないのか、本当に不思議な気がします。それが一番大切な政治家の仕事でしょうに。お互い利権でつながって甘い蜜を吸いあう、そんな体質があるため、未来のビジョンを純粋に、また情熱をもって語ることも見せることもできないのでしょう。そう考えると、金銭面で得することは、本当の意味では得になっていないんです。お金って、最低限のお金がないのは、これは非常に不幸なんですが、一応の暮らしができるようなレベルになると、あとはお金が多いことと人の幸福感とは、ほとんど比例しないんですね。むしろ反比例する場合のほうが実際には多いんではないのでしょうか。未来ビジョンは、ひとつだけが何か良くて、それ以外はダメ、となると、どんなに素晴らしいものでも、気持ち悪くて結局は居心地がよくないと思うんです。要するに、色々な未来ビジョンが必要で、色々な未来を創出することがベターなんです。私の市はこういう市にする、私達の町は、こういう町に、おらの村はこうだべ、というのがですからいいんですね。人々は自分の好みで住む町や村を決めればいいので、そしたら本当に楽しいと思うんですけど。どこに行っても同じ街のオンパレードの日本、本当に損をしていると思います。ここまでよく同じ形にできたなと、本当にいやみですが凄いと思いますよ。誰か、偉い人の中に確信犯がいたのでしょうね。しかも自分のコンプレックスに絶えられない人が。そうでもなければ、こんなに同じ街や村を作れはしません。人間の精神と魂に対する、挑戦だったのだと思いますよ。日本の水田を非常に高く評価するのが最近の傾向ですが、私も確かにそうは思うのですが、一面で木をすべて切り、お米を作るためにあまりに合理的に画一化しすぎたことが、気になります。もっと夢のある水田のイメージが私の中にはあります。たとえば、池を水田とし
米ばかりではなくて、蓮もあり、花が咲いてる、、魚は豊富、木陰には魚が集まる、そんな水田でしょうか。水田の昔から画一化が日本人は好きだったのかな。海外の農業はもっと画一化された大農場だけど。とにかくこの画一化された国際化や未来ビジョンはどうにかしてもらいたいです。もっと、楽しい暮らしを実現できるよう、工夫をしましょうよ。ただ、多様の価値を認め、それにそった法整備を急ぐだけでいいんです。政治家が妙にはりきって何かやってやろうなんてすると、ろくなことにはなりませんから。多様性を認めるだけでいいんです。