2001年12月06日(木)晴れ

えーん、今書いた長い日記が操作ミスで消えてしまった。すごくたくさん書いたのに残念。でも消えた文章はどこへ行くことになるのでしょう。一度この世に、たとえ磁気上の文とは言え、表された以上、本当に消えてなくなるということがあるのでしょうか。本当はどっかにあるのではないかと、つい疑いをいだいてしまいます。私たちの過去も同じですね。過去はどこにあるのでしょう。今はここにあります。今を生きようとする人は、必ず、ここという場所が必要。しかし、私たち、ここにいない場合が多いですよね。過去や、理想や、夢の中に生きていて、ここにいない。私は東京生まれの江戸っ子なので東京は好きなのですが、やはりこのアスファルトジャングルにはどうしても違和感を覚えます。とくに夏の暑さの中では最悪な感じがします。ここに居ようとする意思が作った町とは思えないのです。ああしたい、いつかこうなる、といった夢のために、今を犠牲にしてできた町が大都会なのです。ですから、それは借金と信仰によって作られた町です。信仰でなければこのような都会はつくれなかったことでしょう。もちろん、ここという場所は広い必要はないので、私たちはどこにいても、今に直結するそれぞれのここを見つけてはいくのでしょうが。あなたのここと呼べる場所はどこですか。自分の居場所がない人が増えているといいます。私は今、ここにいます。なんと、正気の言葉に聞こえるでしょう。どこにいるのかわからない私たちに、天の気も降りようがありません。私はここにいます。そこからそれぞれの実のある人生が始まっていくのですね。ああ、消えた日記と、ぜんぜん違った内容になってしまった。

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