2001年12月07日(金)曇り

狂牛病はけっこう深刻な問題ですね。私は学生時代にアルバイトで色々なことをやってましたが、そのひとつに、ゴキブリ退治がありました。色々な場所にゴキブリ退治に出かけましたが、養鶏場に行ったときの驚きは今でも薄気味悪く覚えています。密閉した真っ暗なハウスに、鳥がひしめき合っている姿を見て、はじめは何なのかわかりませんでした。あとでわかったのは、真っ暗に密閉した部屋で、鳥を早く成長させる施設だったのです。それを知って、私は直感的に、これから人間は大変なことになる、と確信しました。なぜだか、理由はわかりませんが、そうした確信が襲ってきたのです。いま、そのときの確信を翻訳すると、次のようになるでしょうか。人間の都合による不自然な食肉工場は、いずれ、鳥や動物の恨みを人間が食べる結果となろう、また、動物に対するこうした扱いは、必ず私達、人間にも及ぶ。私達も、都合がいい動物工場にいれられたような人生を送ることになるだろう。私のこうした当時の確信は、本当にそういう時代を形成していきました。動物の恨みを食することで狂牛病のようなものを生み出し、合理性の追求のみの動物の扱いはいつしか人間に及び、多くの人は、まるで夢遊病者のようにこの時代を生きているように見えます。昨晩のテレビでリストラにあった人の、再就職の大変さを伝えたものがありました。大変だとは思うものの、悪いけど、夢遊病者のようにも思えました。自分で考える力を完全に失っている人たち。会社で数十年を過ごすと、こんなにも人間は自分自身の力を失うものなのかと、私はそちらの方に驚きました。リストラにあい、本当に大変なのはわかるのですが、ならば、今すぐにでも、バイトなり、食べていく方法を考え、実行すべきなのです。しかし、あくまでも正社員として就職する生き方にしがみつき、それしかないと言う姿勢は、異常にかたくななのです。みんな人のよさそうなまじめな人たちばかり。ああ、ながいことだまされながら生きてきたんだな。と、私は感じました。大企業では、これまで、会社のロボットにするために、色々なことをやっています。まず、持ち家を持たせ、会社に借金をつくらせることで、その生涯を縛り上げるわけです。そして会社の仕事のハードさに耐えるよう、社員教育も実行されました。大企業では、次のような教育がなされたと言います。教育係りの人が、あなたは誰のために仕事をがんばるのですか、と聞き、社員が、それは会社や皆のチームワークなどのためです。的に答えると、教育係は、それは違います。と答えるのです。仕事は、誰のためでもない、あなたのためです。あなたと、あなたの家族のためでしょう、決して、会社のためになど、人間は働けませんよ、そんな理想を言ってはいけませんね。と、教育するわけです。自分のためになら、ひとはどんなに不当な忙しさにもついてくるはず、との心理作戦なわけです。そんな子供だましの心理戦に、本来ならきずいて当然なのですが、借金もあり、今さら自分では何もできない、と無力感を植え付けられた人は、そうだな、自分のためだよな、と、みすみす網に捕らえられていくのです。そして、すべてが終え、すべてを搾り取られたときに、このことがわかるのです。その最中にこういうことを言っても、決してわかってくれません。自分を失った人は、都合がよい、幻想をほしがるためです。しかし、その幻想が人生を壊していくのです。現実はそれほどこわいものではありません。怖いときには本気で怖がればいいだけの話しです。まだ見ぬこわさへの準備が幻想に生きる人生を生むのです。しかし大きな幻想が今、壊れつつあります。時代は、私達の長い間の幻想のつけを、今求め出しています。それぞれの自分自身への着地を要請しているのです。

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