物や結果よりも姿勢と状態に意識を向ける

物質より状態 形より状態 物には何の力もない

私たちはつい物やお金が手に入れば目的が達成されたと思いがちです。それも手に入ればまだしも、欲しい物が手にはいらなければ、さらに物への欲求にしばられたりします。

しかし、本当に物に価値があるのでしょうか。物は結果であり、結果物を欲しがるという矛盾が実は存在します。物が欲しければ、それが入るような原因をつくるしかありません。

本日は動画を下記しました。この動画は、これまで二回にわたってお話しさせていただきマグネシウムをどのようにして取り込むか、その方法を動画にしたものです。

具体的な方法は動画をみればすぐにわかりますので、ご覧ください。ここでは重要なエッセンスについて、改めて語らせていただきます。

動画の内容からマグネシウムを得るには、物理的には少量で計測できないくらいの量しか体内に取り込めないと思います。

しかし、マグネシウム棒から水素が発生する際に、微量ですがマグネシウムが水に溶けていることは推察できます。それは水素発生の量と比例するはずです。

水素発生分に比例するマグネシウムが水に溶けるわけです。ただし、それでも微量です。問題はマグネシウムの量ではなく、マグネシウムが発生させる電子にあるのです。電子不足が生命活動を弱めると私は勝手に思っていますので、電子をともかく発生させたいのです。

それには、物としてのマグネシウムやクエン酸が必要であるという物レベルの考え以外に、それ以上に重要な動作があるのです。かけまわすことです。かけまわすことで、水素の発生量が増えるという物理現象が当然生じるのですが、実はかけまわすことには、それ以上の意味があるのです。

かけまわすことが、ある一定の姿勢や状態を作るからです。物には力はないが、姿勢や状態には本質的な力があるのです。

人は物や結果ばかりを求めて、姿勢や状態の維持に目を向けません。

マグネシウムとクエン酸が水で溶けあうことで、化学変化としては条件が同じでさえあれば、何度やっても同じ結果の水素が発生しますが、電子の発生はまた別だと思います。電子も物質なので、あるいは、それ以前の問題かもしれませんが、それを発生する際のかけまわす姿勢や状態が重要なのです。計測できる世界と計測できない大源の世界があるからです。

これはスタップ細胞にもおそらく言えることだったと思います。叩く、、、ことの重要性。しかし、どこかの研究者が冷たい気持ちで懐疑的に叩いても、結果がでないのです。当たり前なのです。意識が優先されて物ごとが作られるからです。太源の計測できない世界へ働けないものが、結果である現実を作ることなどできません。

しかし悲しいことに人は物と結果を求め、決して姿勢や状態に目を向けようとしないのです。

叩く、、、それも楽しく叩く、、、喜んで叩く、、、、きっと電子、または電子におきわかる元物質が豊富にこの世にあらわれるのです。意識に反応して無から有が作られるからです。その原点にあるものが、喜びなど、一定の状態を維持した動作にしか反応しないからです。陳腐で自己保存の冷たい気持ちで叩いても、表れてくるものは失望の結果しかありません。心の姿勢や状態が悪いのです。

心の姿勢や状態が悪いのに、良い結果を出そうとしても無理です。人はいつでも、物や結果ばかりおいかけ、いらいらし、冷たくなり、焦り、不安になったりしますが、それは物や結果を追いかけているからです。物より姿勢や状態が大事なのです。お金のことばかり四六時中考えていると、体を壊します。物からはエネルギーを得ることはできないためです。

また悪い姿勢や状態でいる人が、良いものなど作れません。自分が今、どういう姿勢と状態でいるか、、、それを常に意識することです。そして、良い姿勢や状態を選択すること。そうすれば外界の変化は早くなります。求める物も結果的に手に入ると思います。

姿勢や状態の中で特に大切なのは、喜びです。それによって私たちはエネルギーを得られます。喜びが大元のエネルギーです。喜びがなければ誰でも生きられないようになっています。それが本当のエネルギーだからです。

肉体の健康状態の維持も大切ですが、たとえそれが悪い時でも、意識をあかるい喜びの心にむけることができたら、エネルギーはそこにしか入りませんので、肉体も良くなる可能性が高くなるのです。常に意識が優先されるからです。

それでも人には苦しい時があり、やがて、死の時が訪れます。それでもなを、「ああ、面白かった、、、いい人生だったよ。死にたくないけど、とてもよかったよ。」と言われたら、もうどうしようもない。何も言えない。天国に行ってもらうだけです。意識はあの世にも直結ですから、死に際に幸福だと言われたら、天国に行ってもらう以外にないのです。

たとえ、短命で薄倖で病弱で貧乏で親も冷たい、体も痛い、、、そんな人が死を迎えた際でも、ああ幸福だ、、、と思われたら、どうしようもない。意識が天国なので、もう天国に行ってもらうしかない。

悔しい、試合に負けた、、、これまでの練習は何だったんだ、、、と思っても、それでも、「結構楽しかった、、うれしかった、、、試合できてよかった、、、練習も幸福だった、、、」と言われてしまったら、誰も何も言えない。

社長に首だ、、、と言われてもそれでも幸福、、、という心の状態があれば、何も関係ない。自分が物ではないことに気づく。姿勢や状態が自分だったと気づく。

貧乏でも、「ああ、楽しい」そうした心の状態を維持されてしまったら、どうにもならない。実際、私たちも子供時代は貧乏なくせに楽しんでいた。あれが本当。金がない、、、といらだつ今の自分の方が物信者で、不幸。金がないからと言って良い状態を失っているから不幸なのです。金がないから不幸なわけではありません。一見、引き寄せいの法則みたいですが、引き寄せの法則は、この世的な価値のためにつかわれやすく、原理がその分希薄化しています。

要するにできるだけ良い姿勢や状態を維持することに目を向けること。体にも心にも。そこに意識を向けたら、一定の状態を維持できるのです。そして、意識が見ていることに沿って現実は作られますので、物理的な物は意識の副産物として物質化するのです。

意識が物を作り、物は意識の産物という順番を忘れてはいけません。なので、物には真実はなく、姿勢や状態こそ真実があることになります。
そしてそれが、私がマグネシウム電子を取り込む方法です。初音おばさんのおむすびのようなものです。体に悪い工業的にできた塩を使っているのに、人を健康で幸福にしてしまうおむすび。

マグネシウムを体内に取り入れる方法がやけに難しくなってしまった印象ですが、動画をご覧いただけたら、すぐに理解できると思います。

何回かきまわせばいいのですか、、、右周りですか、、、左の方がいいですか、、、一日に何回飲むのがいいですか、、、こうした質問はすべてこの世的な質問です。そうした物質的な質問には、答える意味がありません。そうした質問をする心の状態がすでに物と同じなので、何言っても無理なのです。

ヨガも舞踏も武闘も、形よりも、それを行っている際の姿勢と心の状態が大切なのです。意識が形に向かっているのを凡人ヨガ、凡人武闘といい、心の状態や意識に向かっているヨガや武闘や舞踏が理想で、意識が無の姿勢を見つめれば、達人に達するのだと思います。

マグネシウムをかけまわしている際の、あなたの姿勢や状態こそが、鍵を握っています。

ぜひ、喜びの思いで、マグネシウムをかき回してください。

「まぐちゃん、頑張れ。水素ちゃん、凄い凄い、、、まぐちゃん偉い、、、」

それによって計測以前の元物質がこの世に出現し出すのです。
思えば、民謡に残る労働の歌なども、同じ原理です。「やーれん、ソーラン」も「エンヤートット」も、それを歌うことで、苦しいはずの労働が喜びのエネルギーワークともなり、捕れた魚も体に悪いものにならないのです。見えない本当の物理の扉が、開こうとしている時代です。

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