菌婚式と幼菌園  好菌生活と未来世界

子供時代に友達の家に遊びに行く、、、玄関を開けて友達の家に入る、、、真っ先に気づくのは、その家の匂いでした。

家によって全部違う匂い。同じ家はいつ行っても同じ匂いなので、いつしか、どの家の匂いがどうか覚えてしまったものです。不思議なのは、最初は気になった匂いも、20分もたつと分からなくなっていきます。

慣れたからわかなくなるのか、自分の体や服にも、その匂いがついたからなのかもしれません。

現代の若い女性は大変清潔好きです。清潔さは常に魅力の第一歩ですが、度が越えた清潔好きは、何か気になります。そこには、ケミカル主体の生活を目指す人特有の共通の雰囲気が出ています。

ドラッグストアと女性の生活は切っても切れないものがあると思いますが、ことさらドラッグストアが好きな人は、度が越えた清潔好きなのでしょう。しかし不思議なもので、そうなるとあまり清潔に見えなくなる。本当の清潔さには、ケミカルとは別の健康美があってのことなのかもしれません。

夏にマスクしている女性がいくら清潔好きだと言っても、逆に清潔に見えない。夏にマスクしている人とは一緒に食事をしたくないと感じてしまう。もちろん、風邪をひいているとか、病気があるという理由がある場合は別ですが。

現代の無菌をすすめる風潮には、その土台に不自然さがあるように思えてなりません。

ひるがえって子供時代の話しに戻りますが、それぞれの家の匂いは、その家に住む菌と関係していた気がします。その家特有の菌が発酵し、その家特有の匂いを発している。

人間はお母さんのおなかの中にいるときには、無菌です。生まれてくる際の産道で、生まれた後は空気や抱っこされることで、すぐに様々な菌類の洗礼を受けることになります。以降、時間をかけて、様々な菌類を赤ちゃんや子供は身に受けていくわけで、成長とは、数多くの菌類を体に入れること、、、と言っても良い一面が出てくるわけです。

無菌がベストのような社会の風潮は、人間を発酵から遠ざけるためのケミカル信仰を助長するような異様さがあります。無菌状態で人間を育てるのと、有菌生活での成長と、どちらが健康に良いか、、、という調査もあるようです。結果は無菌の方が良いというのです。ただし、一定の条件の元でのもので、実際に無菌環境で生きる人間が幸福であるかどうかは別の話しになると思います。

現実の世界には様々な菌類があり、それによってあらゆる生命は成長し、変化し、適応してきていますので、無菌生活は絵空事の実験室での話しにすぎないと思うのです。

実際に無菌で生きられないのなら、菌とどのようにして付き合っていくのがいいか、、、と考える方が、無菌を目指すよりも自然です。

幼稚園に入園する目的も、社会生活に慣れるためというより、色々な菌類をもらったりあげたりするため、とも言えると思います。
それぞれの家にしかない菌が幼稚園で交わるのです。菌同士のふれあい、、、それが幼稚園、、、すなわち幼菌園です。

人は大人になると愛する異性に出会い、結婚する人も多くなります。そして菌から結婚を捉えることも可能です。その場合は、結婚式は菌婚式になるわけです。

二人の菌が密に出会う生活。まさに菌婚生活です。多少Hな話しになることをお許しください。好きな異性の体のどこに目指す菌が生息しているのか、、、の観点からセックスを捉えることもできると思います。説明は省きますので、取り急ぎ想像してみてください。

触る、、舐める、、体を密着させる、、の意味もなるほど、、、と思わざるを得ません。小説「雪国」には女性の足の指をなめる中年男性が主人公になっています。足の指に生息する特殊な菌がきっといてのことなんだと思います。

さらに菌の特殊性を考えると、インフルエンザの菌は宇宙からやってくるという説があり、私は有効な考え方だと思っています。地球の自転速度に比例してインフルエンザが発症していくケースが多いのです。宇宙から来た菌ならば、納得です。
さらに、隕石の中に潜んでいた菌類が地球衝突の際に飛び散り、一定の条件を得て活動し出す、、、胞子状の菌が宇宙から隕石に乗ってやってくるケースもあると思います。

こうなると、地球や生物の発展進化に宇宙の菌類が関係している可能性も出てきます。

また、地球の様々な奥地にしか生息していない菌があるはずですし、海底深くにしか住まない菌もいるようです。海底火山の噴火口の熱い水温にしかいない菌もあるとか。そんな菌なら隕石に乗っかって、加熱されてもビクともしないで地球にまで到達できたはず。そして今は噴火口の灼熱の環境に身を隠しているのかもしれません。

こうした菌類が私たちの生命と関係しないはずがありません。

昔の住居は何百年もの間、何世代もの人が暮らしていました。その軒や柱や天井には、その家にしかすまない菌がいたはず。何百年も進化しながら家に住み着く菌。新たな嫁が入ることで、さらに発酵し、独特の家の菌に育っていく。

そうした何百年もかけて育った家の菌も、都市化の嵐の前で、廃村となり、廃家となり、壊され、この世から菌ごと無くなっていく。

本当に貴重な菌が今後どうなっていくのかと考えると、心もとないものがあります。何百年もかけて家に生息し、発酵進化した菌を無くしてしまう都市化と廃村化は、人類の可能性の大ピンチなのです。

もしかしたら、あの村にあった菌が、あの病気を治してくれる菌だったかもしれないし、癌を治す菌だったかもしれない。都市化、現代化というワンパターンに陥りがちな菌類の粗末化が、人類の進化の足を引っ張っていた可能性があるわけです。

廃屋の菌類を集める、色々な人の菌類を薬に利用する、地球各地の点在する貴重な菌類を集める、、、壮大な菌の図書館が今後必要になってくることでしょう。そこには、すべての答えがあるはずで、答えとその運用を待つ間、人類は菌類を守っていく必要があると思うのです。菌のタイムキーパーにならなくてはいけません。

最後に菌に関した私の見解ですが、菌は微細な存在のため、デリケートな圧によって動くと思います。意識圧と菌の活動という分野がいずれ出来てくると思います。そこまで行けば、夢のような時代が到来していることでしょう。

亡くなった方の遺品。そこには条件が整えば、菌類が生き生きと動きだす息吹がきっとあります。死んだ人の遺体をどんな苦労をしても私たちは探そうとします。遺体や遺品には、その方の生前の息吹が残されているからでしょう。そしてそれは単なる思いだけの問題ではなく、いつになっても、ある一定の条件が整えば、かつてのその方の菌類がうごめきだし、そこに亡くなった方本人が復活して現れるようなエネルギー現象が起こると私は思うのです。

愛する人が亡くなり、生前の遺品を残された、、、その人の大好きだった音楽を奏でる、、、、大好きだった食べ物を作る、、、そこに思いを寄せ、遺品に触れれば、そこに生前のその人は必ずいるのです。そうしたコミュニケーションの方法も菌に寄れば可能となります。

菌と私たちの付き合いは、これから始まっていくのだと思います。意識圧と菌との関係性が分かって行けば、医学も科学も生命倫理もすべてが根底から変わっていくと思います。

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