二つの音楽

先日、尾山台のSHOPのちょうど前で、近くの中学生のブラスバンドの演奏デモンストレーションがありました。

中学生なので演奏は未熟でしたが、純粋な音に不思議な感動がありました。店長などは泣きながら聞いていました。

音楽にははっきりした二つのありようがあります。一つは生演奏です。そしてもう一つは、電子信号に変えた形で音を再生する演奏です。

生演奏はわかりやすいと思いますが、CDや音楽コンテンツのほとんどは電子信号が音に切り替わった形です。

生演奏でもマイクやアンプ、拡声器を通せばそれは純粋な生演奏とは違ってきます。どちらが良いというのは野暮な話しで意味はありませんが、あえて誤解を覚悟でいうなら、私は生演奏と何等かの電子信号が付帯してくる音楽では、厳密な違いがあると思っています。

しかし、この区分けはほとんど最近ではなくなり、生演奏でもマイクを通しますし、生演奏でも結果的にはCD音楽との区別がほとんどなくなるケースが多いと思います。スタジオでは生演奏とはいうものの口パクでも通用するケースが多いと思います。

となると、二つの音楽とは、完全な生演奏とそうでない、何等かの電気信号化した音楽の二つになります。

この違いは私にとってはとんでもなく大きな隔たりです。しかし、通常ではあまり問題にされません。大きな会場でたくさんの人数に音楽を聞かせるケースが多いのですから、それは当然ではあります。

しかし、この二つの音楽の違いは、実は皆が思っている以上に決定的に重要なことではないでしょうか。私はまったく音楽が異なったものになると思うのです。

アンプ操作でマイクで音量を増した音は、作られた音であり、本来の音と違ったものなのです。あくまで私の勝手な思いですので、それが正しいなどとは言いませんが、私自身はかたくなにそう思っている、、、その視点から話しをしているわけで、正しいと言っているわけではありません。あくまで私個人の考えと思いを語らせていただきますので、かなり勝手なことを言うことをお許しください。

必ず、ご不快に思われる方が多い話しとなりますので、あらかじめお許しを得てからすすめたいと思います。いやな方はぜひ今の時点で、お聞きにならないでください。きっと不快になると思いますので。

私は音楽は生演奏しかないと思っています。他の音楽は音楽でないと思っています。これは考えというのではなく、アンプやマイクを通して出た音、また、CDや映像から出た音と、本当の音には、明らかな違いがあると思います。

ただ、電子音は非常に便利ですし、便宜上、もちろん必要なものです。なので、社会にはこれは絶対に必要不可欠であり、それを非難する気など毛頭ありません。ただ、それでは魂にはいる音楽にはならないと思っているのです。

それはエネルギーを人に与える音ではなく、エネルギーを奪う音だと確信しているからです。ただし、あえて好きな曲を聞く、、、という前向きな思いで電子音を聞いたなら問題はありませんし、そこに自主性があれば問題にはなりません。

逆にボーっと電子音を聞いていると、それがテレビでもラジオでもそこに聞く、見るという自主性がないと、本当は極めて危険です。エネルギーを奪われる形になるためです。それについてはまたの機会に話すとして、今回は音楽とは何か、、、の観点から、あくまで私個人の勝手な考えと思いを語っております。

実は私に限らず、誰でも本当は生の音と電子音が異なることくらい、実は感じていると思います。しかし、誰もそれを言わないし、マイクなどは便利なので、知らぬ間に受け入れているのでしょう。ふたつの音の違いなどほとんどの人があまり気にしてないように見えます。しかしそう思わされているだけなのです。

生の音も電子音も大差ないという、おそらくたくらみが世界的にあったのだと思います。生と電子音の違いは、即興と目的化した音の違いでもあります。

現在のアーティストはすべて電子音の世界で作曲し歌い、表現していますので、その方向は即興ではなく、完成形を目指す音楽になりがちです。アルバムづくり、、、デモ映像づくり、、、すべて基本にあるのは目的化したイメージづくりです。要するに宣伝です。電子音の音楽会でも即興はありますが、すでに何度も実験した音効果を使う即興となりがちです。

これに対して、比較的狭い空間で生演奏されるジャズでは、即興が命です。その即興はあえて練習して来た内容を披露するのではなく、「お前、そう弾くか、、、じゃ俺はこうだ、、、」とベースとピアノは張り合う、、、まさに即興の世界です。

アンプを通した生演奏も生演奏に違いはありませんが、表現をミスったら音量でごまかすなど、人為的な面がどうしても強くなるため、目的は聞く人がどうなるかという効果を狙う形になってしまう音楽なのです。

通常の音楽業界の人達は基本は純粋な人が多いとは思いますが、なぜか私は吸血鬼的なにおいを感じます。魅力的な作曲ができるアーティストを取り巻き、アーティストの曲に厚みを作り、演奏効果を加味してアーティストから結果的に音楽を奪っていく吸血鬼的存在。

音で、音楽で人の心を動かし、魂を取り込むことも可能ですので、この音楽という業界はもっとも時代性の方向を作れる最先端に位置し、世界をどう動かすかの本当のトップが君臨するエリアとも言えるでしょう。

この世が悪魔の時代であるなら、そこには最高の悪魔がいる可能性すらあるわけです。アーティストがアルバムづくりをするのは、最高の効果を考え、最高のイメージ、売れるイメージ、時代をリードするイメージに貢献するものとなります。天才的なアーティスは曲の主題とイメージの原型を提供し、それをスタッフが目的化していきます。

生演奏の即興には、こうした方向付けは無縁で、アーティスト、プレイヤーたちの個性と人間性と状態のぶつかり合うその場だけのたまものという本当の音楽になります。

これに対して、アルバムづくりという影響を目的化した音楽は、電子音というまやかしでしかでき得ないものなのです。

ハッと目が覚めるのは、生演奏以外にありません。アンプ、マイク、電子音により、私たちは仮想現実をあたかも現実のように思わせられていくのです。これがもっとも重要な時代原理の大元にあるはずですので、この世の支配者の直系の力が音楽業界にあることは確かでしょう。
アンプ、マイク、電子音こそ、うお座時代の集大成の姿です。嘘を信じ込ませ、幻想を現実と思わせる力でこの世は運営されています。

私たちが自身の声、生の音、生の音の繋がりとしての音楽と、通常私たちが聞いている音楽との違いをもっと意識できたとき、私たちは自身の出す生の声や音にある命を実感します。

母音トーニングを重視するのは、そのためなのですが、人口音の嘘を見抜くことでしか次の時代は訪れないかもしれません。そこが要なのです。

私たちがやられてしまったのは、人工音も電子音を含まない生演奏も、大差ないと思わせられていること。さらに人工音を自由に作るアーティストがもっとももてはやされる仕組みなど、真実から魂から遠ざけるためには、この分野がもっとも重要な働きをしていることに気づくことで、本当の音楽を取り戻すことが大切だと思っています。

実際に、謙虚に本気で、生の音と、人口音を比べてみてください。違いは決定的です。なのにそのことを誰も言わない、、、誰もそうだと思おうとしない、、、このマインドコントロールこそが最大のものであり、今の世界を維持する要になっているように思えます。

以上ですが、あくまで私個人の勝手な言い分であることを、改ためてお断りしておきます。もちろん、私自身はそうだと確信していますが、人様にそうだ、、、とは強弁したくはなく、あくまで私の言い分として書きました。

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