エネルギーの法則
すべてのものはエネルギーを得て存在し、存在の継続が許されています。
エネルギーが不足すれば崩壊過程に入り、やがては形を失い無に戻っていきます。
これが本当の原則ですが、今の科学は形あるものについてからしかアプローチしませんので、エネルギーと言ってもまやかしのように受け取られてしまいます。とくにこの世のシステムを信奉する度合いが強い人ほど、こうした話しには嫌悪感を抱かれるかもしれません。
無ということがわからないためです。将棋と同じで、どの視点から物を見ているかは人によって異なるのです。日頃お金のことばかり思っている人の目に映る世界は、それに関連したものばかりですので、やがてこの世はすべてお金であるとの確信に至ってしまいます。
赤い物にしか関心がなく、それしか見ない人にとっては、この世は赤ばかりに映ります。他にも色があるよ、、、と言っても無理なのです。赤しか見ない人にとってはこの世は赤しかなく、体験は信念を強化していきますので、時間が立てばたつほど、経験を積めば積むほど、この世には赤しかないとの確信を強めることになります。
こうして、人はまるでカルマに引き寄せられるかのように、自分の人生を歩んでいきます。小学生時代、子供時代は、まだカルマと感じられるようなことはないと思いますが、段々と自我が発達し、社会に出て、それぞれの道を歩み出すと同時に、人はそれぞれのカルマに引き寄せられるかのように人生を歩んでいく姿に見えてきます。
しかし、将棋の上手な人が下手な人の将棋を見たら、「ああ、あんな間違いしている」とすぐにわかり、下手な人が何を考え、何を選択しようとしているかが、まるで手をとるように理解できるはずです。
これが逆になると違います。下手な人が将棋のうまい人のやり方、駒の動かし方を見ても、なぜそうするのかはわかりません。わかっていたら自分もそうしていますので、自分よりも将棋のうまい人の考えや行動は理解できないことになります。
現在の多数決という政治の方式は、多数によってすべてを決めていきますので、実は誰もがわかることしか決めれれなくなります。最低レベルの意識に沿った運営しか多数決ではできないのです。人や民衆の最低レベルの意識に沿った国家運営ですから、本当は良くなるわけにはいきません。
しかし、そうなると自分だけが正しいと言い出す不埒な人も続出しますので、仕方なく多数決を採用しているのだと思います。
なので、真実によってしか動かないものがメインになっていく時代にならない限り、私たちの時代は進展しないことになります。
フリーエネルギーが嘘であると語り、そう信じる自由は確かにあると思います。考えは自由です。しかし、実際にフリーエネルギーによって家庭で発電できる、、、家庭で水がつくれる、、、エネルギーが作れる、ということになった場合、閣議決定のような形で、「これは嘘なので取り締まります」では、私たち人間の進歩はなくなります。
最近の閣議決定などもこうした傾向があり、閣議において本来閣議で決められないことが決められていくという不思議な様相を見せてくれます。まるで天動説を閣議決定するようなもので、ガリレオはそれでも地球は動く、、、といいましたが、あり得ない閣議決定が優先されるのです。
これからの時代は事実の前に物事が変化し動いていくことになると思います。家で水をつくっちゃいけない、、、といくら言われても、災害が来たとき、大変な時、水がどうしても必ような時、人は当然のように水が家でできれば作り出すはずです。作物を家で作っちゃいけない、と言われても、その方が自然な状況が訪れれば、人はダメと言われてもそうするはずです。
不自然なダメ出しする政府や権威や組織は力をもつことなく消えていくことになります。
いくらインチキだと言われても、まったくかまわない、、実際に水道から来る水よりもおいしくて安全な水が作れる真実が優先されるわけで、これからの時代はこうした真実に沿った動きが始まるでしょう。
その場合、世の中は赤しかないと、いくら閣議決定しても、事実でないものの影響力が日増しになくなる社会となるわけです。何を考えるのも自由で何を信じるのも自由なのですが、それが真実であるかどうかが、これからは重要になっていきます。
その分かれ目は、目に見えない世界の認知、死の認識の相違、無から来るエネルギー、ゼロポイントや、正しい生命原理などが、個々の魂レベルでの踏み絵となるでしょう。真実に沿って生きようとする人と、かたくなに物と有限にしがみつく人とに分かれる現象がこれから起きてきます。
ただ、そこに争いの必要はなく、選択があるのみです。水道が正しいと思う人は水道から水を得ればよく、電力会社が好きな人は電柱から電力を得れば良いだけの話しです。
そういうものにお金を出したくない人や、何となく電柱はいやだと思う人は、自分で水や電気を家で作ればいいだけの話しであり、どちらも介入しあう必要もないのです。もちろん争う必要もありません。
前置きが長くなりましたが、エネルギーの法則についてです。
エネルギーは無からしか来ません。無を作る、、、すなわちゼロポイントを物を使ってその条件作りをすれば良いのです。最大の無は死後の世界と魂の世界なので、本当のフリーエネルギ-を理解しようとしたら、人間は死んだらおしまいではないとの視点に立つ以外にないのです。ただ、それももちろん人の自由です。どう考えるのも自由なのです。
エネルギーが不足していけば、物は崩壊しますので、エネルギーを常に補充する必要があります。それがうまく行けば不老長寿も夢ではなくなります。それに意味があるかないかは別として。無の世界、死の世界の許容は、不老長寿の魅力を少なくしますので、あまり意味はないかもしれませんが、選択として、不老長寿とあの世行きが、同等の価値になるかもしれませんね。本当に面白い時代だと思います。
次にエネルギーの法則ですが、圧が高い方にエネルギーは集まります。どんな場合でもそこに圧の差があれば、それを元に戻す働きである反作用が始まりますので、それがエネルギーワークになります。反作用の起こるところにはエネルギーが集まるのです。
具体的には、人為的に色々なギャップをつくれば、ギャップは圧の差を生じますので、そこにはフリーエネルギーが訪れ、無尽蔵のエネルギーの宝庫に触れることができます。
ギャップの作り方は、無の作り方と同じです。私の場合は懐中電灯と懐中電灯の光をぶつけ合って光の干渉現象を利用してエネルギーを得たり、水と水をぶつけてもいいし、色々です。
音は発生と同時にそれを元に戻そうとする反作用が訪れて音は段々と小さくなっていきますが、反対にエネルギーは増大しているのです。声を出すだけでも人はエネルギーを得ることができます。まして他の声や音と和すことで豊富なエネルギーを得られます。ギャップが複雑になりますので。複雑とは小さな変化を受容できるセンスが生きてくる世界です。あの世とこの世が連携していることを感じられるセンスは繊細なのです。力量の時代にはフリーエネルギーは発展しません。
ただ、こうしたことも今の科学ではわからないこととされていますので、あえて私の考えと言っておきます。
二つの動画を収録しました。ひとつは432Hzのオルガニート演奏。もう一つは、153Hzの音についてです。周波数は数の秘密と一体です。テスラはこの世の仕組みを知りたければ周波数について学びなさい、、と言いました。学ぶよりも私は体験だと思います。